元治二年(一八六五年)二月、試衛館の仲間がついに欠けた。
山南敬助が唐突に脱走し、沖田に発見されて屯所へ戻った後、士道不覚悟を自ら認めて切腹した。
介錯を務めた沖田は、子供時代から慕っていた山南の死を見届けると、熱を出して寝込んでしまった。
沖田がかねてから患【わずら】っていた労咳【ろうがい】は、この頃から確実に悪化し始めた。
山南の死後、目に見えて調子を崩したのは、沖田だけではなかった。
伊東甲子太郎が、新撰組に参入して初めて、笑みを消して怒りをあらわにしたのだ。
山南が密かに切腹して果てたと告げられたとき、伊東は端正な顔を真っ青にして、愕然と立ち尽くした。声すら失っていた。



