聖也の手首の傷を思い出す。


あれだけ苦しんで、悩んで、1人では抱えきれないくらいのストレスを感じているのに、聖也はまだ能力を信じて前向きでいる。


もしかしたら、なにかがあって気分がパッと晴れて前向きになれたのかもしれない。


聖也が予知夢の話をしている所は今まで一度も見たことがない。


聖也だって、普段は隠しているのだ。


あたしは勢いをつけて立ち上がり、部屋にあるパソコンの電源を付けた。


予知夢は番号札と違い、よく聞く言葉だった。


あたしはすぐに『予知夢』を検索した。


すぐに何万件というサイトがヒットする。


みんなが日常的に見ている夢が書かれていて、【夢で見たこの部分が現実でも起こった!】とか【夢で見た遊園地に連れて行ってもらえた!】などと言う文章が見られる。


予知夢はどんな人でも少しは経験があるものなのだ。


偶然にしても、必然にしても、日々の生活から成り立っているのが夢なのだから、日々の日常とリンクしていても不思議ではない。


あたしはそれを読んで大きく息を吐き出した。


でも、聖也の言っている人間が死ぬ場面が夢に出て来るという予知夢は、明らかにそれらとは違うものだった。


聖也は丸山先生が死ぬ時間まで知っていた。


そこまで詳しく当てている予知夢はなかなか見当たらなかった。


年のため『番号札』で検索をかけてみる。


しかしあたしが見ているような番号札についての記載はどこにもされていなかったのだった。