須田さんが言い出した店長とわたしの不倫疑惑は、あずみんが朝番のみんなに説明してくれたおかげで、おおごとにはならなかった。

 噂が思うように広まらなかったのが面白くないのか、須田さんは「崎田さんが朝番スタッフの悪口言ってたよ」と言い出したらしい。

 というのを、朝番のみんなから聞いた。不倫は一瞬疑ったが、わたしはスタッフの悪口をスタッフに聞かせるタイプではないと結論が出たらしい。だから朝番のみんなは直接わたしに言ってきたのだ。


 前の標的は佐藤さん。次の標的はわたし。きっと須田さんからの攻撃は、わたしが負けるか逃げ出すまで続くのだろう。

 仕事中、作業をしながらいずみんとDVDコーナーの話をしていたら「喋ってる暇があるなら手ぇ動かしなさい!」と怒鳴られた。

 買い取りの査定中、箱のないオールドゲームの値付けに手間取っていたら「遅い!」と怒鳴り、買い取ったゲーム機の掃除をしていたら「下手くそ!」と怒鳴られた。

 品出しされていない商品がレジカウンターに溜まっていた時は「崎田さん仕事好きなんでしょう? ぼやぼやしないで早く品出しして」と言われ、ようやく品出しを終えて戻ると「包装のお客さんずっと待ってるよ、あなたが企画したんでしょ、早く包みなさい」とまた怒鳴られてしまった。


 この頃になると店長や副店長にも話が伝わり、ふたりはわたしを守るようにシフトを組み直してくれた。須田さんとわたしが同じ時間帯に働かないように。希望休が重なってどうしても無理な時は、店長か副店長が必ず同じシフトに入ってくれた。

 他のスタッフも、極力須田さんの噂話に乗らないようにしていたらしいけれど、もう不倫どうこうではない。須田さんは店長とわたしが仲良くしていることと、スタッフたちがわたしを擁護しているのが気に食わないのだ。

 罪悪感でいっぱいになった。

 わたしが店長と仲良くしたことで、色々な仕事を残業してまでこなしたことで、店の雰囲気を悪くしてしまった。きっとこの雰囲気をリセットするためには、わたしが辞めるしかない。

 それを決意したのは、店長の疲れた表情を見たときだった。



 昼番の勤務を終えてタイムカードを切り、すぐ横のパソコンデスクにいた店長に話しかけた。最近は店長と雑談することもカードゲームをすることもなくなっていたから、話しかけるのは随分久しぶりのことのように思えた。

「くま」

「え?」

「目の下、くますごいよ」

 店長が声を押し殺してくくくと笑う。ファンデーションで隠していたのに、仕事中に落ちてしまったらしい。

「どうした?」

「はい、ええと、その……。仕事を、辞めようかと思っています」

 言うと店長は、棚の隙間からレジカウンターを見、そこに須田さんがいないのを確認してから、わたしを見上げた。

「社員になるって頑張ってたのに、辞めちゃっていいの?」

「これ以上、みんなに迷惑かけたくないので」

「崎田さんに迷惑かけられた覚えはないけど」

「そもそもこうなってしまった原因はわたしですから」

「そんなことない。気を配れなかった俺のせいだよ」

「いえ、店長には感謝しています。本当に楽しい職場でした」

 店長は心底残念そうな顔でパソコンのディスプレイに視線を移し、ふうっと息を吐いた。

「実は、地元に戻って赤字店の店長をやらないかって言われてる」

「え?」

「ずっと迷ってた。月島くんを店長にふさわしい男に育てたいって思ってたし、崎田さんのこともある。でも次に来る店長は凄く厳しい人だから、きっと月島くんをちゃんと指導してくれるだろうし、崎田さんも辞めてしまうなら……。俺は地元に戻るよ」

 わたしは、この恋の終わりを知った。

 元々叶わない恋だった。でも店長が同じ県内にいるのなら、どこかでばったりということもあるかもしれない、と。心のどこかで期待していた。でも店長はここを離れて行く。終わり。もう終わりなのだ。

「シフトが出てる今月中はいてくれるよね?」

「はい。店長も、いてくれますよね」

「勿論。お互いあと半月。楽しくいこう」

「はい……」

 楽しく、なんてできない。大好きな仕事も、大好きな人も、手すら届かない場所に行ってしまうのだから……。