セナは涙で濡れた目を俺に向けた。

俺はほんの少しうなずいてそれに応えた。

「この鏡面掛けはおじさまにとって大切なものですよね?売り物とは思えません。」

「どうしてそう思うのかね?」

「これは人の手に渡すような物ではないからです。こんなに貴重なものはしまっておくものでしょ?」

俺は黙ってセナとオヤジのやり取りを聞いていた。

「ワシはそうは思わない。」

「どうしてですか?」

「物の価値は人によって違う。それはその人が生きてきた環境と持って生まれた感性で決まる。」

「そうですね。」

「お嬢さんはワシの話を聞いてその鏡面掛けは価値があるものだと考えた。その時点でそれはお嬢さんのものになった。違うかね?」

「そ、そんなわけにはいきません。」

セナはオヤジの言葉に戸惑っていた。

俺が二人の間に割って入った。

「セナ、受け取っておけ。オヤジさんの気持ちだ。君なら誰よりも大切にするだろ?」

「ですが、こんなに素晴らしいものを私が持つなんて震えちゃいます。」

「ハハハ。」

オヤジか笑った。

俺はオヤジが笑ったのを初めて見た。

「セナさん、今雄二がそう呼んでおったからワシも呼ばせてもらうよ。いいじゃろ?」

「はい。」

「千津は貧しい家の生まれだったが、面立ちが極めておったから舞子に出された。儚くもの哀しい佇まいが旦那衆に買われて毎日客がついた。ある時大店(おおだな)の旦那が金沢へ連れて行った。店から舞子を連れ出すのは異例だったが金にものを言わせ旅の供にした。千津はどの客にも変わらない姿勢を貫いていた。誰にも心を許さず誰に対しても舞子として接した。ところが旅先の宿で運命が変わってしまった。彦右衛門という鎌倉の武家の血筋を持つ男に惚れてしまい、さっきの話しに続くんじゃ。千津は芯が強く賢い女だった。それでも内に秘めた激情には逆らえられず彦右衛門と歩む道を選んだ。悲運な恋の道をな。」

「うらやましいです。」

「ほぉ、そうか。」

「千津さんが恋に生きたことに。ただそれがあまりにも短かくて、私なら耐えられないです。」

「千津にとっては長かろうと短かろうと関係なく、想う相手と通じ合えること以外は重要ではなかった。最後に二人で、いや親子三人で過ごせたことはこの上ない幸せだったに違いない。それがほんの数時間だとしてもだ。」

オヤジは話終えてなんだかホッとしたような感じだ。

「さっ、ワシからの話は済んだ。まだ来たばかりだろうから出かけなさい。」

「おじさま、ありがとうございます。これは私にとってもとても大切なものになりました。」

俺はオヤジに頭を下げた。

「また来るから。セナ、行こう。」

セナもオヤジに頭を下げて外へ出た。

「雄二。」

オヤジに呼び止められた俺はまた店内に戻った。

「はい。何?」

「セナさんを大事にな。」

俺はオヤジに笑いかけた。

「オヤジ、ありがとう。」