美人だけれど気が弱くておとなしい母は、知恵の付き方がとてつもなくアンバランスなぼくを持て余していた。
しょっちゅう泣きながら、毎日のように、ひらがなのクッキーを焼いて、ぼくに文字を教えた。
あるとき唐突に、ぼくは、自分の名前を並べることができたんだ。
何度も何度も目にしてきた形の並びが「かいが」を表す記号であると、いきなりわかった。
文字から構成される世界、文章によって表現される世界を知ると、少し楽になった。
その世界に没頭している間は、情報量が制限される。
他人と同じ情報量を仮想的に体験できる。
だから、理系なのにと言われるけれど、読書は好きだ。
漫画よりも、文字だけの小説のほうが集中できる。
粗《あら》が気になるSFよりは、違う世界を描いたファンタジーがいい。
文字の世界より楽なのは、当然ながら、視界をゼロにすることだ。
目を閉じているときは、多すぎる情報を見ずに済む。



