リナリア

「止まらずに動いちゃっていいの?」
「はい。」
「彩羽さん、少しいいですか?」
「うん。」

 知春がすっと撮影位置に入っていく。それに引っ張られるかのように彩羽も後に続く。名桜はカメラを構えて、少し距離を取った。

「本当はシーンとしては歩きながらですけど、ここで歩くわけにはいかないから…。こうやって少し僕の手が触れたら、引っ込めてもらってもいいですか?」
「ちょっとやってみよっか。テストテスト。」

 そう言った顔は屈託のない明るい表情なのに、一度瞬きをするとセミロングの髪が揺れた。目つきが変わる。ふぅと彩羽が小さく息を吐くと、自信のなさそうなか弱い背中がそこに現れた。知春の目が一瞬驚いたかのように見開かれたが、それはすぐに優しい表情へと変わった。ヒロイン『杏』(あんず)に向けられる『大和』の視線はいつだって穏やかで優しい。
 不意に大和の手が杏の手を掠めていく。驚いて引っ込められた手にもう一度触れて、そのまま優しく包み込んでいく。

(…知っている顔なのに、知らない顔みたいに見える…。)

 パッと知春が名桜の方を振り返った。その顔は『大和』ではなくなっている。

「このくらいのスピード感なら大丈夫そう?」
「はっ、はい!大丈夫です!」
「おぉ~さすがだね、ちーちゃん。めちゃめちゃきゅんときた。」
「…それ、絶対嘘なんですよね、彩羽さん。」
「あの、手だけ写そうかなって思ってたんですけどやっぱりお二人の表情のバージョンも欲しいので、2回やってもらってもいいですか?」
「2回でいいの?1回ずつで決めちゃう感じ?」
「他にも撮影したいものがあるので、2回で頑張ります。」
「オッケー。じゃ、本番といきましょ!よろしくね。」

 ウインクがばっちり決まる、知春とは違うタイプの目立つ綺麗な顔だ。そして背中が凛としていてかっこいい。

(杏になるときはちゃんと自信がなさそうな、不安そうな背中なのに…。)

 改めて見るプロの仕事に、名桜は気を引き締めてカメラを構えた。