リナリア

* * * 

 開演10分前に名桜は慌てて着席した。少し息が切れているが、開演時間には落ち着いた呼吸に戻るはずだ。この劇を見終えたのちはすぐに仕事に向かわなくてはならないため、全ての荷物を片付けたり、担任に早退の確認を取ったりしていてこの時間になってしまった。可能であれば開演前に知春に会っておきたかったが、当日の忙しさなどを考えて連絡するのを躊躇ってしまった。会ったところで励ますのも何か違う気がするし、そもそも演技のことで名桜が言えることなど何もない。それなのに顔を合わせたいと思ってしまったのはなぜだったのだろうと考えて、名桜は首を横に軽く振った。

(余計なことを考えず、呼吸を落ち着けて演技に集中。)

 ふぅと息を吐いたと思ったら、体育館の中の明かりが徐々に落とされる。スポットライトが幕に当たり、いよいよ始まった。

* * *

 きゃあという悲鳴は、おそらく多くの人に努力によって飲み込まれたのだろう。体育館の空気は十分に揺れたのを感じたが、アイドルのコンサートのように悲鳴が飛び交うことはなかった。

「シンデレラ。そんなに悲しい顔をしないでください。君をずっと見守ってきた私が、願いを叶えてあげますよ。」

 ぼろぼろの衣服をまとい、舞踏会に行けないことを嘆くシンデレラに出されたその手は、まるで物語の王子様のようだった。どんなメイクと衣装でくるのかと思っていたが、金髪の長髪で出てくるとは思っていなかった。本来、物語の魔法使いは女性だ。

「ねぇ、シンデレラ。顔をあげて?」

 魔法使いの言葉に顔をあげたシンデレラ。魔法使いは腕まくりをして、気合を入れる。

「君を世界一美しくしてあげます。覚悟はいいですか?」
「ふっ…。」

 覚悟はいいなんて言う魔法使いが妙にツボに入ってしまって、名桜は小さく笑い声を漏らしてしまった。思っていた以上にノリノリで楽しそうだ。普段の知春とは全く別人の、少しコミカルな魔法使いに仕上がっている。魔法使いが呪文を唱えると、一瞬舞台が暗くなって、ドレス姿になったシンデレラが登場した。