見あげた空に、月はなかった。

新月のはずはないから、どこかに隠れてるんだろう。

ドアがノックされて、母が入ってきた。



「甘いミルク、飲む?」

「ありがとう」



大きなグラスにたっぷり注がれたミルクは、メープルシロップの優しい香りがする。

窓の外をぼんやり眺めながらすする私を、母がうしろからそっと抱きしめた。



「大丈夫、山王さまの病院、いいお医者さまばかりだもの」

「ん…」



情けなかった。

私は、この世界にたいした執着もないような顔をして、いざその時が来たら、少しも受け入れられなかったのだ。


"返し"とは、無理やり"散らし"たひずみのようなものだと伸二さんは言った。

私みたいに、若くて健康な肉体が消滅するには、それなりに莫大なエネルギーが発生するらしい。



『何を泣いている』



そう言う伸二さんの顔は蒼ざめて、姿も不安定に明滅していた。

こんなに消耗するものなのかと戦慄した。

彼がここまでしてくれなかったら、今頃、私は。



『ごめんなさい』

『なぜ謝る』

『私、いつでもいいような気でいて、全然覚悟できてなかった』

『そういうものだ』

『でも、そのせいで伸二さんも、林太郎も』

『あの少年については、俺に責任がある』



普通は返ってきても、障りのないものに、たとえば家具とか家電とか、に"うつす"らしい。

けれどなぜか林太郎は、そのほとんどを、身体で受けてしまったんだそうだ。



『それは、私と林太郎が"近い"から、とかですか』

『きみと彼が、"近い"?』

『新!』



悲鳴のような声は、智弥子だった。


月のいぬ間に、と狙ったみたいに、星がいっせいにまたたきはじめた。

帰ってからシャワーで流した林太郎の血は、バスルームの床を真っ赤に染めた。


私のせいだ。

これで本当に江竜新が終わると思ったら、欲が出た。