『今こっちは午前2時なんだけど、日本は?』


「朝の4時」


『これからアンコールワットを撮りに行ってくるよ』


「どうして? 夜が明けてから行けばいいのに」


『ばかだなあー。それじゃ遅い。僕が撮りたいのは夜明けのアンコールワットなのに。日中のアンコールワットは飽きるほど撮ったよ』


昼間はもちろん、でも、夜明けのアンコールワットは神秘的で格別らしい。


「ふうん。こだわりがあるんだ、榎本先生には」


『て言うかねえ、お嬢さん。何も分かってませんねー』


「はいはい、どうもすみません」


本当に変わった様子は無かったし、感じられなかった。


元気そうなその声に嫌な予感は全く無かった。


『とにかくアレだ。明後日そっちに帰るから』


「うん」


『作ってよ、肉じゃが』


「はいはい」


『ああ、雑誌も買っておいてよ』


「はいはいはい」


いつもの飄々とした口調で、


『あー、では。行って来ます』


突然掛かって来た電話は、突然一方的に切れた。


「あっ! ……もう」


本当に自由な人だ。


あたしは、帰国した潤一と肉じゃがを食べる風景を想像しながら、夜明けが近いのに再び眠ってしまった。