「篤哉(あつや)って呼んでも……いい?」

「……へ? 俺の名前は――」

「分かってる。でも……お願い」


男の腕を強く握った。

私が一度も呼ぶことの出来なかった、その名前。
届かない想いが、行き場を失ったままでは苦しすぎる。

だから、せめてこの場限りでも、例えその指先が、その唇が篤哉本人じゃなくても。
目を閉じれば、その存在を感じられるはずだから。
どうかお願い。
一緒に果てるそのときに、篤哉という名前を呼ばせて。

すがり付いた指先に力を込める。


「……キミ、変わってるね。忘れられない男の名前? ん……ま、いいよ。どのみち今夜限りなんだろうしさ」


“篤哉”に成り代わった男の腕が、私を引き寄せた。

窓の外は霧雨でぼんやりと白く霞み、街全体を静かに覆い尽くしていた。

暗闇を照らす月に、今の私の姿は見られたくない。
だから、今だけでも私の存在を消し去って。
その白い雨で、私の罪を洗い流して。


どうか、お願い……。


ほんの数時間前の出来事が、嫌がらせのようにフラッシュバックを繰り返す。
それは、これが現実だ、妙な邪恋は今すぐ捨てろということを私に思い知らせるため。

分かってはいても、そこから逃げ出すように背を向ける。

そして、“篤哉”の指先を感じながら、目を閉じた――……。