一目千本桜という桜の観光名所があるのは市外の離れた場所に位置しているらしく、しかもこの時期は桜見たさに多くの人が集まるため相当混雑するという。
行くなら早めに出発したいという彼の提案に、ひとまず合わせることにした。


最寄りの台原駅に10時に迎えに来てくれることになったので、それに合わせて準備を始める。


電話を切る直前に、彼にこう言われた。
『軽いハイキングでもするつもりで、歩きやすい靴でおいでね』って。


誰があなたみたいな人に会うのに気合を入れてヒールなんて履いていくもんか、と言いそうになったけれど。
さすがにあんまりだと思いとどまった。
彼に初めて会った時の私は、仮にもお見合いのようなものだと思ってそれなりに綺麗めの服装で行ったから、あの時に履いていたようなパンプスを履いていったのでは相応しくないと気を利かせてくれたんだろう。


いつもよりも動きやすい服装を選んで、靴はハイカットのスニーカーを履くことにした。


敦史が求めるのは、女性らしい女性だった。
スカートやワンピースを着て、足元はヒールのある上品な靴を合わせる。
髪の毛もふんわりと巻いて、ロングヘアーがベター。


彼の好みになりたくて、彼の色に染まりたくて買っていた女性らしい服は、一人暮らしをする際に半分ほど捨ててしまった。
好きだと言っていたロングヘアーも、肩まで切った。


何もかも無くした私には、もう何も残ってなどいない。


見せかけの『偽恋人』の望月さんと桜を見たって、お互いに楽しくないと思うんだけど。
彼もせっかくの休みなら、家でゆっくり寝ていればいいのに。
2週間ぶりに休みが取れたなんて、見えすいた嘘をつかなくても追求なんかしない。


私の心は、誰に捧げるつもりもないのだ。