「び…っくりしたぁ…今日は一体何なわけ?」
「…なんだろうね。でもしたくなっちゃって。口にしなかっただけ我慢したよ?」

 綾乃の前では素直であろうと決めた。だから言えることは全て伝える。言葉でも、態度でも。

「今はもうしない。だから、行ってらっしゃい。」
「…今はって、含みあるなぁ。って時間やばい!行ってきます!」

 カツカツと鳴るヒールの音。凛とした背中。スーツを着ると引き締まる顔。そのどれをとっても、『できる女性』なのだと社会人ではない自分ですらわかるのだから、きっと職場ではさぞかし重宝されているのだろうと思う。そんな人が自分を選んでくれたことを嬉しく思うのと同時に、一抹の不安が胸をかすめるのがこの見送りの時間だった。
 ドアを閉めると、ここからは一人の時間だ。もう何度とこの時間を過ごしているのに、それでも切ないとか、寂しいなんて思ってしまうのだからどうかしている。

「…綾乃ちゃんの隣に立ってていいのかなって、いつも思ってるよ。」

 彼女は立派な社会人。仕事もできて(働いている姿を見たことがないからおそらくとしか言いようがないが、できない人じゃないことは知っている)、明るくてリアクションもいい彼女を上司が構いたがるのも納得がいく。そんな彼女の彼氏が4歳年下の大学生でいいのかと思ったことは一度や二度じゃない。

「…ヤキモチ、妬いてないわけ、ないよ。」

 北海道くんには何も恨みもないし、誰かに対してそんな気持ちをもつことはほとんどないタイプだと自負している。それでも、羨ましいと思わずにはいられない。

「羨ましいなぁ…ってバイトの準備しないと。」

 年は縮められない。ならば、縮めるべきは、人間としての距離。

「頑張ろう。」

 せめて、こんな風に引け目を感じなくてもよくなるように。