* * *

 夢を見た。小さい頃の夢だ。
 身体は小さく、泣いている。そんな健人の手を引いているのは、優しい母だった。笑顔が優しく、年の割にはふわりとした髪が小さなときから好きだった。

「転んでしまったのね。もう絆創膏を貼ったから大丈夫よ。」
「…うん。」

 うん、とはただの強がりで、じくじくと痛む左膝。そんな健人に、母は足を止め視線を合わせた。

「…ねぇ、健人。いつまでも泣いていたらだめ。それに、泣いたって痛いのは治らないわ。」
「…そう、だけど。」
「男の子はね、いつか大事な人とずっと一緒にいるために、強くならなくちゃいけないのよ。」
「それは、ママ?」
「…そうね。ママだったら嬉しいけど、ママとは別の大事な人よ。」
「そっか…じゃあ、がんばってなきやむ。」
「うん。健人の泣いている顔、ママ、とっても苦手。」

 嫌いではなく、苦手という言葉を使う人だった。そんなところも好きだった。多分、嫌いなところなんて何もなかった。生まれたときからずっと、感謝の想いしかない。
 あの日も、母の手は温かかった。母の手の温かさなんて、最後に感じたのは一体いつの頃だったのだろう。


* * *

「ん…。」
「あ、起きた。具合どう?」

 目を開けると、お風呂あがりでパジャマ姿の綾乃がいた。

「あやの…ちゃん?」
「おーい、彼女の顔もわからなくなったか。」
「ちがう…けど、ごめん…今何時…?」
「5時半。有言実行!定時退社!」
「…ごめんね。」
「ここはごめんねじゃないでしょ。他に言うことは?」
「…ありがとう。」

 掌に感じる温さが母のものでも自分の熱のせいでもないことは、ゆっくりと自覚できた。焦点が定まると、熱は綾乃がわけてくれたものだとわかる。

「…綾乃ちゃんが手、握っててくれたの?」
「んー…厳密に言えば違うかな。健人の手に手を近付けたのはあたしだけど、握ったのは健人。」