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 頭は熱いのに、身体は寒い。全身の震えが止まらない。季節はもうすぐ春になりそうだというのに。

「…ごめん、仕事休めないから行くけど、緊急事態は連絡して。今日は絶対定時退社してくるから。」

 いつもきっかり同じ時間に起きる綾乃が慌てているのは、もちろん自分の支度が間に合わなかったからではない。愛犬もとい彼氏である健人の体調不良が故だ。
 風邪をひく頻度でいえば、圧倒的に綾乃の方が多い。しかし健人の方がなってしまえば重いものが多い。今回はインフルエンザでもないのに38度もある。

「ごめんね、綾乃ちゃん。」
「何が。」
「忙しいのに…ほら、年度末なのに…。」
「忙しいことと心配することは別問題でしょ?いいからとにかく寝てろ。ポカリ作ったし、ご飯は炊いてる。お湯入れるだけでオッケーなスープはテーブルの上。ゼリーも冷蔵庫にあるから。他に欲しいものある?」
「ううん。大丈夫。」
「とにかくポカリ飲んで寝てなさい。じゃ、悪いけど行ってくる。」

 パタンと閉まる部屋のドア。途端に心細くなる。
 綾乃と付き合い始めてから、自分はどんどん弱くて甘ったれになったと健人は思う。それは、もしかしたら悪いことなのかもしれないけれど、素直であれることはとても楽だ。

 両親は仕事の忙しい人たちだった。それでも愛情は多く注いでもらったと思っているし、今でも思い出すことのできる温かい思い出がたくさんある。
 そして両親を失った日から、寒さを感じることが増えた。自分の心が今まで温かかったことは当たり前で普通のことではなく、それは両親の愛によって支えられていたものだと知った。失って知ることは多くあると誰かに聞いたことがあったけれど、本当にその通りなのだと思う。それがある時には気付けない。あることが当たり前であるために。
 風邪をひくことが嫌なのではない。風邪をひいたときに、独りになることが嫌だ。それは昔からで、その防衛本能のおかげなのか、今まであまり風邪をひくことはなかった。それなのにこれだ。よりにもよって綾乃の忙しい時期に。

(…綾乃ちゃんに迷惑かけちゃったな。)

 朝の貴重な時間を奪ってしまった。そして疲れて帰ってきているのに、自分の看病までさせてしまう。うつしたりなんかしたくない。

(寒い…寒すぎる…。)

 風邪をひくとネガティブになる。元々そんなにポジティブな方ではないけれど。