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「綾乃ちゃん、混ぜるの疲れちゃうでしょ?俺やるよ。」
「さ、さっきから健人がやりすぎててこれじゃどっちのために作るものかわかんないじゃん!」

 バレンタインデー当日。のんびりと10時くらいに起きて、遅めの朝食を食べ、3時に間に合うようにとガトーショコラ作りを始めた。案の定、キッチンは健人の城でしかなく綾乃の仕事は楽なものだけだった。

「だって、せっかくのお休みに綾乃ちゃんを疲れさせたくないんだよ。」
「このくらいで疲れるほど年とってないわ!」
「そういう意味で言ったんじゃないよ。」
「じゃーなに?あたしの方が下手だから?見てらんないってこと?」
「違う!見てられないんじゃなくて、見ていたいんだよ!」

 ほんのりと染まった健人の頬を見て、つまり何を言おうとしているのかがわかった。

「…あー…言ってたね。ちょっとだって離れたくないって。それか。」
「それ!」
「…ほんと、健人は安上がりだし、無駄な心配も多いし、生きるの大変だな。」
「あ、ばかにした。」
「してないよ。…優しい人間って損するんだからなー。」

 この世は狡猾な者が生きやすいようにできている。だからこそ時折、大学では上手くやっていけているのだろうかと心配になる。優しすぎるワンコは、食われてはいないだろうか、と。

「大丈夫だよ。優しいのは綾乃ちゃんに対してだけだから。」
「…え?そうなの?」
「うん。」
「待って。騙されないぞあたしは。健人の優しいの基準と、あたしの基準は違うんだから。」
「そうかなぁ、そんなに違わないと思うよ。」
「そもそもつりあってないもん、健人とあたしのやってることは。どう考えても健人の方があたしに尽くしてるでしょ?」
「あー…でも、それって俺がやりたくてやってることだし。」
「尽くしてることは認めるんだ。」
「認めるよ。だって尽くしたい人だもん。」

 口を動かしながらも、実は手もちゃんと動いているのが健人の凄いところだ。きっとガトーショコラもさぞ美味しくなることだろう。