* * *

「綾乃ちゃん!」
「なに?」
「で、出た!」
「…はいはい。そんなにしがみつかないでよ、襲ってくるわけじゃないんだから。」
「襲ってくるよ!」

 忌み嫌われた生き物、ゴキブリの登場だ。綾乃の腕にしがみつき、ガクガク震えているのは健人だ。男のプライドはどこへ行った。

「…ほんっとだめだよね、虫全般。」
「むしろなんで綾乃ちゃん、平然としてるの?」
「好きじゃないけど、殺すという目的のもとでは無になれるから。そもそも気持ち悪いってのは動き方的にも妥当かもしれないけど、怖くはなくない?」

 健人はふるふると首を振った。

「…襲ってくるし、飛ぶんだよピンチになると。それに…エアコンに飛び込んで粉々に…。」
「あー…はいはい。それがトラウマの始まりだよねー。さすがにそれは嫌だけど。」

 粉々になったゴキブリを収集するのはさすがに綾乃でも嫌だ。それに、身体の一部がどこかに落ちているのではないかと思うと気分が悪いのも事実だ。

「とりあえず健人は座るか離れるかして。処理するから。」
「…勇ましいね、綾乃ちゃん。」

 そっと離れた健人を確認してから、綾乃はティッシュを数枚取った。ティッシュなんかで殺すと健人の顔はひきつるが、それでも仕方がない。

「あー!飛んだ!」
「…大丈夫だから。むしろ、その珍しすぎる大声でびびる。」
「ご…ごめん。」

 綾乃の腕を掴む力が強まった。これは相当怖がっているサインだ。

「申し訳ないけど、あの世に送らせてもらうわね。」

 躊躇ったら負け。ゴキブリは一瞬で仕留めなくては。

「っ…。」

 声にならない悲鳴をあげた健人の身体は綾乃にぴったりとくっついていた。