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「うわぁ…随分懐かしいことを思い出しちゃったなぁ…。」

 この家の主人を待ちわびる時間に主人に想いを馳せることは、もはや癖のようなものだった。
 
 かっこいいとは言い難い告白から始まった恋愛とも呼べない代物がこうして今は実を結んでいるのだから、諦めないことと素直であることは大事であると言わざるを得ない。
 『素直に生きるんだよ』
 これは両親が幼い頃から自分に言い聞かせていた言葉だった。その言葉の大切さを、失ってから気付くなんてあの頃はこれっぽっちも思っていなかった。健人の両親はもういない。でも両親にできることなら会わせたかった人ができたことを誇りに思う。自分も、どうにか人を愛することができたと伝えたい。

「あー…早く帰ってこないかなぁ。」

 やっぱり今日は抱きしめたい。おかしいくらい甘えん坊じゃないかと言われても、大型犬がじゃれついてるんですけどと言われても、それでも今日は何故だか無性に綾乃を抱きしめたくて仕方がない。

「あーやーのーちゃん!はーやーくー!」

 独り言が虚しく溶けていく。そんなばかげたことを言っていても時間は進まないし、バイトの時間は刻一刻と迫っている。
 今日はオーナーにも感謝したい気分だった。いつもより美味しく店の料理を作りたいとも思う。

「綾乃ちゃんも頑張ってるんだし、俺だけそんな甘えたこと言ってられないな。…綾乃ちゃんを支えて、自分もしっかり自立したやつになるんだから。」

 あなたの隣に真っ直ぐに立つことができるように、今日も一日頑張るから。
 だからあなたが帰ってきたら、どうか自分を甘やかしてほしい。そして、あなたを甘やかしてしまいたい。ゆっくり体重を預けて、微笑んでほしい。それだけで、十分すぎるほど幸せだから。