「いい雰囲気のところ悪いけど、あまりのんびりしている暇はないんじゃない?」
「ああ、そうだった」
ポンと手のひらで拳を打つ悠。
「早く、この場から離れた方がいい。霧子さん、悠をよろしくね」
「えっ、あ……」
「またいつか会いましょう」
にこりと笑う桜さんが、私にキャリーケースの持ち手を握らせる。
もしかしてこれ、私の逃亡用荷物? あまり時間がなかったはずなのに、わざわざ用意してくれたの?
「あの」
「じゃあな。あとはよろしく」
お礼を言う暇もなく、悠に手を引かれる。
桜さんは微笑みだけで返し、くるりと踵を返し、歩いて行ってしまった。
こうして、何の心の準備もできていないまま、私と悠の逃避行が始まった。