想いを残した距離に

「あの。私、わかるの。きっとみんなは私の大切な人なんですよね。私、記憶喪失らしいから…だから…記憶を戻してくれませんか?私、自分に戻りたいんです」


渚の最後の想いだと思った。

あと1ヶ月…それより短いかもしれないし長いかもしれない。その期間にどれだけ本当の渚に戻るかわからない。でもやらない以外になにも考えつかなかった。


「渚のお母さん…。これから毎日、渚と話してもいいですか?」


小説とかで記憶喪失になった子と話さないでほしい。脳に刺激が。という親が何回も出てきた。だから渚のお母さんもそうかもしれないと思った。でも渚のお母さんはもちろん。と笑顔で言ってくれた。その日から俺達は毎日交代で渚に話しかけることにした。


「私と渚はね、喧嘩したんだ。大喧嘩」


「初めて出会った時は一冊の本だったんだ」


「渚に押されて俺は付き合うことになった」


「渚と勉強で対決したんです」


気がつけば俺も俺の知らない渚を知ることができた。みんなもそうだったと思う。
渚は誰の話も真剣に聞いて思い出そうとしてくれた。でも記憶は戻らない。
それでも俺達が挫けるわけにはいかなかった。


「今日は幸さんなんですね」


ある日、俺は渚とふたりきりになった。ふたりきりになるのは5日ぶりだった。


「ああ。なんか、思い出せそう?」


渚は残念そうに首を横に振った。


もういっそのこと俺が渚とキスしたりしたことも言ってやろうかと思った。

でも渚のお母さんから突然の刺激は控えてほしいと言われてるから我慢だな。


「その指輪…」