「どうか・・大切なものだから・・。」
ディアナが首筋から青い玉のついた紐を左手で不器用に外し、フランツに差し出す。

≪ああ、この人の瞳の色、この玉と同じ色なんだわ。深い・・澄んだ青・・。だから私、この人のことをどこか懐かしいように感じてしまうのかしら・・・≫


じっと目を合わせたディアナとフランツ。
ディアナの揺れる眼差し。



≪なんだろう?この感覚は・・。≫
目の前の不安そうな少女は・・
この胸に抱きしめて安心させてやりたいと思わせる。

そっとフランツは差し出されたディアナの手にその手を重ねた。
「大切に預かっておくよ。」
ディアナの心臓がとくん、と音をたてた。

やさしく微笑みを見せているフランツ。
ウェルスターもアイザックも開いた口がふさがらない。

普段どんな令嬢にも見せたことのないそんな微笑を、突然出会った正体もわからない娘に見せている皇子が、理解し難かった。
フランツがディアナの左肩に手を添え、立ち上がらせる。

「まずは傷の手当を。それから着替えもしてもらいなさい。
その姿では少し寒いだろう。」
右腕をかばいつつふらふらと立ち上がるディアナ。
小さな身体では毒のしびれがまだ消えきらない様子だ。
フランツ皇子はそれを支えるようにそばに立つ。

アイザックはただただ驚いて目を丸め、ウェルスターにその視線を投げる。
ウェルスターのほうはさっきからずっと頭を抱えている。

「フランツ皇子、私のほうで傷の手当と着るものの手配を致しましょう。」
アイザックが間に入った。
フランツがうなずき、ディアナの身体をそっとアイザックのほうへ向けさせた時だった。

大勢の足音と鎧のかち合う音が近づいてきた。
ウェルスターがさっと扉に向き直る。

≪何者だ?≫
ウェルスターの手は長剣の柄に添えられている。
その表情は一瞬にして引き締められている。

アイザックも身構える。
フランツはディアナを背に隠すようにして扉へ向き直った。


「ウェルスター卿!フランツ皇子様はこちらにおいでか?」
どんどん、と扉が激しく叩かれた。
宰相補佐、ブリミエルの野太い声だった。


複数の兵士たちを連れているようだ。
「ブリミエル様とお見受けいたします。このような夜更け、どのようなご用件でしょうか?」
ウェルスターが扉を開けずに応える。

「ウェルスター卿、宰相レデオン卿が倒れられたこと、ご存じか?!
宰相が倒れられた際、フランツ皇子様とお二人でいらっしゃったと聞いております。ぜひその時の状況をお伺いしたくこちらに伺っております。フランツ皇子様をこちらへ!」
ブリミエルがここぞと張り上げる声が、夜の静寂の中に響く。


「ブリミエル卿、皇子がレデオン卿と二人でいらしたからどうだというのだ?
レデオン卿が突然吐血されたのとは関係がないであろう?」

「レデオン卿の吐血には毒を使用した形跡が見られるそうにございます。
さすればその場にいらしたとしたら・・。」

「ブリミエル卿!何をおっしゃろうというのか?!」

「いいえ、いいえ、私は何も。私はただ、ご状況をぜひお伺いしたいと参っているだけでございます。」
ブリミエルは扉の向こうで醜く顔をゆがませた。

≪ウェルスターめ、さっさと皇子を渡せばいいものを。くく。。
それにしても、レデオンめ、そのまま死んでおればよかったものを・・。
あと一歩のところで!しぶとくも生き残りおって・・。まあ、、よいわ。
この件の主導者をフランツ皇子に上手くまとめて、その座を追い払ってしまえばよいこと。
レデオンなど、あとでどうにでもしてくれるわ・・!≫


≪はめられたか・・≫
フランツは細く形のいい指をあご先にあて思案するような視線を扉のほうへ向けている。

「おのれ、ブリミエルっ・・!皇子、今回の件はブリミエルが皇子を陥れようとわざと起こしたのでは!?」
「アイザック、証拠のないことを軽々しく口にするなっ。」
ウェルスターが小さな声で、だが厳しくアイザックを制した。
彼の瞳にもまた、アイザック同様怒りが燃えていた。

フランツが後ろに隠すようにしていたディアナに向き直った。
「ディアナ、きみはさっき私の前で男が倒れるのを確かに見ていたね?
そして、男が倒れる寸前のことも、何か見たんだろうね?だから悲鳴をあげた。どうだい?」
今はこの少女にかけるしかない、フランツはそう思った。

ディアナの顔色が蒼白になり、彼女はこくん、と頷いた。
フランツはディアナをぐっと自分の胸に引き寄せた。
「ディアナ、きみはきっと私の女神に違いない。
必ずきみを守ろう。真実を証明するために、力を貸しておくれ。」
フランツは棚に乗せられた布を引き出すと、それでディアナを頭からすっぽり覆った。
騎士団の純白のマントだった。


突然の話に、ディアナは混乱と不安の入り混じった表情をしている。

≪ついさっきまで守りたいと思っていた瞳を、今は私が不安にさせている。≫
フランツはディアナを囲む腕にぐっと力を込めていた。


どんどんどん、扉をたたく音が激しくなる。
「ディアナ、私のそばにいておくれ。」

見上げるディアナに、フランツが薄く青い瞳を注いでいる。

彼の意志のせいだろうか、瞳の青が深みをましたような青に見える。
その瞳がディアナにはどこか寂しそうに見え、そっと皇子の手を握り返した。。


この緊急事態に、扉に対峙しているウェルスターとアイザックも皇子に視線を送った。
≪我々も。どこまでも皇子と。≫
彼らはこの皇子の無実を知っていたし、この魅力的な皇子に忠誠を誓う兵であり、友だった。



フランツは目を細める。

フランツは幼い頃から権力、確執、裏切り・・華やかさの裏の世界を見てきた。
宰相レデオンは裏のない、実直な男だ。
次期国王である私への期待から、彼と意見の対立することはあったが、すべてはこの国の為・・。
それが分かり合える相手だった。

フランツは宰相レデオンに信頼を置いていた。


しかし、ブリミエルは・・。

宰相補佐、ブリミエル。腹の黒い男であることをフランツは知っていた。

ブリミエルがこの事件を主導しているのか・・
証拠はないけれど、毒だの、レデオンが倒れただの、、私の居場所をつかむことも、この城に住んでいるわけではないブリミエルの行動が、すべてが図られていたように素早すぎる。


ドドンッ、扉が力いっぱい開けられた。
「フランツ皇子様、どうぞ、ご一緒願います。
国王陛下にもお許しをいただいておりますので。」
ブリミエルはうやうやしく頭を下げた。