夜が深くなっていく・・。

窓辺に立つフランツは、その深くなっていく闇に美しい顔をめずらしく深刻に曇らせていた。

皇子という立場上、周りに気持ちを明かすことが少ない。
だがここは自身の執務室で、今は執事も外で待つよう伝えていた。

暗い闇に重ねて思うのは、これから起こるであろう、いや、現在すでに始まっている自分を陥れようとする罠・・それを思うと表情が難しくなるのだった。

レデオンは危ういところだった。
だが一命を取り留めたと侍医から報告を受けた。
先ほどの少女は無事だろうか?レデオンの変化に、私よりも先に驚きの悲鳴を上げた少女。

私は振り返ったとき、すでに苦しそうに胸を押さえるレデオンを見ただけだった。
少女の悲鳴とともに聞こえたレデオンの苦しげなしぼりあげるようなうめき声。

私が振り返る前はどうだったか?
少女は何か見ていたのではないだろうか?
私が見ていない何かを・・

だから私よりも先に悲鳴を・・。
無事でいるだろうか?
兵たちはあの少女を傷つけてはいないだろうか?


今回の件で私の側近にまで手がおよんだ。
自分とともにこの国の行く末を案じるものの身が危険にさらされる、
自分が王となることをよしとしない者たちの仕業・・。
それらを即刻捕らえてやりたい、だが証拠がない。
フランツはぐっと拳に力を込めた。

ふいに扉が叩かれた。
「皇子様、ウェルスター卿が参っております。」
執事のベンダモンが声を掛けた。
「隣の部屋へ。すぐに向かう。」

フランツは着替え途中だったシャツのボタンを留め、くるりと体を扉へ向けた。
ドレープをたっぷり取った白いシャツが彼の上半身を美しく彩っている。
やわらかな金色の髪が肩のところで揺れる。
彼の優美な姿は、一目見た者誰もを虜にしてしまう魅力があった。
スマートな物腰、落ち着き、そしてその姿とともに、彼がこの国の王位継承権第一位の皇子だということも
周囲が彼を放っておかない理由のひとつだった。


バタン、扉をあけフランツ皇子がさっそうと姿を現した。
「さきほどの娘は無事か?」
何としても黒幕を上げたい、その気持ちが開口一番にそう言わせていた。
あの黒いなつかしさのある瞳が気になることも確かではあるが・・。

「捕らえる際、庭の奥に逃げ込まれないようやむを得ず毒矢で射ました。
その際、腕に少々傷を負っております。今はその毒の為気を失っておりますが、その他に負傷はみられません。」

「何?!」
「城の庭といえど、あそこは広い森のようなところです。
夜、逃げ込まれては明け方になるまで見つけられない可能性がありました。
やむを得ずの手段でした。」
「わかった。」
「ですが皇子、なぜあの娘にご執心なさるのですか?」
ウェルスターは明らかに解せないという表情を隠さなかった。

「失礼と承知で申し上げますが、皇子が望まれればそれこそ国中のご令嬢が先を争って参られるでしょう。
それを、どこの者とも知れない娘に・・。」
「ウェルスター、あの娘は大事な証人だ。」
一息ついてフランツは言葉をつなげる。

「レデオンの件は私をよく思わない者の罠だと私は思っている。」
ウェルスターは目を見張った。「何か掴まれたのですか?」

「いや、確証はない。だが、レデオンに持病はなかったと侍医から確認している。
あの吐血は毒によるものらしい。あの場所にいたのは私とレデオン、そしてあの少女だけだ。
もしあの少女が誰かの手先であれば、あの場で悲鳴を上げて正体をばらすようなマネはしないだろう。

私を陥れようとした者もあの少女のことは計算外だったはず。
私は、あの少女は私が見なかった何かを見て悲鳴を上げたとみている。
それが何か・・。私はそれを聞きたいと思っている。」
ウェルスターもやっと納得したようだった。

フランツが口元をあげて言う。
「だがあの少女からはどこか・・いや、何かというべきか?
あの娘の瞳を見たとき、何か懐かしさのようなものを感じたのは確かだ。」
やれやれ、ウェルスターが肩を少しあげて応えた。

「わかりました。それでは、その娘のことは・・皇子にお任せいたします。
煮るなり焼くなり、おそばにおくなり、ご自由になさってください。」
「ですが」ウェルスターの目が鋭く光る。
「ですが、怪しいと感じた時には、私に任せていただきます。」
「よし、娘のところへいこう。」
ぱんぱん、とフランツがウェルスターの肩を叩いた。
≪あの娘の瞳、私はどこで見たのだろうか?≫


留めたいと思ったが、ウェルスターはこの皇子の『言い出したら聞かない』性分をよく理解していたため、敢えて留めることはしなかった。歩き出したフランツに従う。

外見は物腰柔らかそうに見える皇子だが頑固な意志の持ち主だというのを
ウェルスターはよく知っていた。そして社交の場ではめっぽう冷たく、
(その気持ちを許さない冷たさはわざとなのだが)氷の皇子と呼ばれていることも重々承知していた。

だからこそ、このフランツ皇子のあの少女への態度には驚かざるを得ないのだった。
皇子とウェルスター、そしてアイザックは幼少の頃からの付き合いだった。

「皇子、後ろで糸を引いているものがいるかもしれないのです。ご注意ください。」
「ああ、私が気を許している者はそうはいない。
常に気を付けているつもりだが、気を付けておくよ。」
ウェルスターの過保護をフランツも口元を上げて笑うように見えた。
過保護なくらい、次期国王であり友である自分を気にかけてくれるウェルスターを
フランツも心からの信頼を置いていた。