「まあ、、そんなに!!…」
マレーが息を飲み、歓喜の声をあげる。
愉しそうに話すアイザックの声とマレーの感嘆する声がディアナの部屋を占領している。

ディアナはといえば、ドレスから解放され、ゆったりとした服に着替えている。
緊張の連続だった昼食会から解放され、頭も身体も放心しているようにぐったりと長椅子にのびている。


「ぜひ姫様とお近づきになりたい、と私に言っていらっしゃる男性の多かったこと!やんわりお断りするのが大変でしたよ。」
二人は盛り上がりをつづけている。
あまりに疲れすぎていて、ディアナの耳にはそれらは全く入ってこないようだった。

≪なんだろう、これ・・身体も頭もぴりぴりしびれるみたい。。にぶいし、重い。。緊張してたけど・・そんなにつかれたのかな・・私。。≫

「まあ、ディアナ様。よほどお疲れになられたんですね。お可哀そうに。」
「疲れを取るために少しお酒など召し上がれば、ほぐれるのではないですか?」

「そうですわね、寝酒を召し上がるのもよろしいですわね。」
アイザックの提案にマレーは『すぐ持ってまいりますわ』と言うや否や、ぱたぱたと部屋を後にした。

アイザックは少し離れた椅子に腰かけ、ディアナを見守る。
もしも彼女が長椅子から崩れ落ちそうになったらすぐ支えられるよう、目は離さずにいる。

≪それにしても、フランツ皇子がこれほどまでに優しく女性に接される方だとは思いませんでしたよ。≫
アイザックは目をやさしく細めた。

ウェルスターは何としてでもディアナの何かを探し出そうとしているけれど、それでさえ、探し出せなければ、ディアナが異世界(?)から来た救いだと認めざるを得ない裏付けになる。

この少女に出会って、フランツ皇子は変わられた。
ディアナを見つめるあたたかい眼差し、差し伸べる手、掛けられるひと言。
それらは人間らしくて、とてもよいことだと、友としての私は思っている。
皇子の側近としての意見は、それとは異なるけれど。
けれど、せめてまだ、今くらいは。。
いいんじゃないかと、見守っていたくなる。。

コンコン、マレーが盆を提げて戻ってきた。
「ホットミルクに少しお酒を入れてきましたわ。これでゆっくりお休みになれますわ。」



夜が更けていた。。

フランツは自室から続く執務室でいくつか急を要する書類に目を通しているところだった。純白の寝着に濃い藍色のガウンを肩から羽織り、書類に目を走らせる。

最近、北方に隣するシラー国の兵士たちが好戦的で国境を越えようとする動きもみられる、と国境警護に赴いているエイロス卿から書面が届いている。

父王は今、フランツにその王位を譲渡するため、国王が担うべき公務を代行させるようになっていた。
王の交代も間近かと巷では噂されている。この時期に国境で勢力争いを仕掛けてくるのは考えられることだった。

そして、国内にも敵対勢力はいつの王の時代にもあった。フランツに対するそれもしかりだった。
身体が弱く、辺境の地で療養している第2皇子、フランツの弟皇子を王に立て
自分たちが権力を得ようと企む貴族たちがいるのだ。
ブリミエル卿がそのひとりだった。

国外、国内、いつでもこの国の変動を見つめ隙あらばつけこもうと、常に狙っている者たちがいる。。

フランツはエイロス卿からの書類を机にもどした。
ひといき、琥珀色の液体をのどに流し込む。

ふと、昼間の花の精のようなディアナの姿を思い出した。
≪ディアナは、もう寝ただろうか?≫
ディアナのことを思うだけで、気持ちがやわらかくなるようだった。

寝ているだろうか?でも、少しなら・・
ディアナの顔がみたくなった。

フランツは沐浴で濡れた髪をかきあげると、席をたった。


ガチャリ、フランツが廊下に出ると、隣のディアナの部屋の下からはまだ光が煌々と漏れていた。
≪こんな夜更けに?眠れないのだろうか?≫




「フランツ皇子!」
扉が開かれたことに気付いたアイザックが声をあげた。
マレーも振り向いた。困ったようなマレーの表情に何かあるのだと感じる。

「こんな時間に何をしている?」
部屋に足をいれると、二人の向こう側、長椅子の上に横たわった白い足が見えた。

「ディアナ…?!」
フランツは長椅子に駆け寄った。
そこに横たわるディアナは、顔色が赤く、ぐったりとしている。
頬を触ると少し熱を帯びているように熱い。
「これはどういうことだ?ディアナに何があった?!」

≪まさか毒では…≫
フランツの青くなっていく顔にアイザックが答えた。
「フランツ皇子、ディアナ様は明日にはよくなられるかと存じます。」
「・・どういうことだ?」
フランツの顔が曇る。

「ディアナ様は・・・酔っておられるのです。」
困惑の表情を見せるアイザック。

「正確には、ディアナ様のお疲れを癒すためホットミルクにお酒を少々入れてご用意したところ、このように、、酔われてしまったのです。」

フランツはディアナのそばに腰を下ろした。

「ディアナ様がお酒が全く合わない方だとは知らずに私が・・・」マレーがおろおろしている。
「提案したのは私です。私も同じです。」
「侍医には診せたのか?」
フランツはどっと気が抜けた顔をしている。

「はい、診せましたが、やはり酔っているだけとのことでした。」
「そのまま眠ってしまわれているので、私だけでは寝室へお連れできず、
アイザック様にお手伝いをお願いしたところだったのです。」

「寝ているだけ?」

すー、すー、、と小さな寝息を立て、眠っている。
無邪気な顔をしている。

く、、くくく、、くく
フランツは可笑しくなって笑いだしそうになるのを必死でかみ殺した。
ディアナを起こしてしまってはいけない、と思ったからだ。
しかしおかしくて、フランツは肩をゆらして笑った。

毒かと心配したが、酔って眠っているだけとは、それもほんの少量の酒だという。

今日の気苦労が多かったのだろう。
知らない場所での毎日にも心配や苦労が多いのだろう。。
その疲れが溜まっていたのかもしれない。

それにしても、私の心配もこんなに笑い飛ばさせてくれるとは。
無邪気な顔をしている。

ディアナのなめらかな黒髪に指を通す。
「水は飲まさなくていいのか?」
マレーが頷く。
「大丈夫だそうです。お酒はほんの少しでしたので。ほんとうに、お疲れだったんだと思いますわ。」
フランツもそれに頷いた。

「ディアナ様をベッドへお運びするところでした。」
「そうか、では私が運ぼう。」
運ぼうかとするアイザックを止め、フランツは横たわったディアナの身体の下に手を入れ、抱き上げた。
「マレー、アイザック、ご苦労だった。」

愛おしそうに抱き上げる皇子にアイザックは身を引いた。
「いえ、それでは、私どもはこれで。」

アイザックは寝室に手伝いに入ろうとするマレーをとめ、一緒に退出していった。


軽々と持ち上げられた少女はその頭を皇子の胸に預け、小さな寝息を立て続けている。
見た目よりもやわらかな肌の感触が、触れる者の心を波立たせる。
このまま抱きしめていたい気持ちを抑え、フランツはゆっくりとディアナをベッドに横たえた。

そっと前髪に触れる。
やわらかな頬に触れる。。
そっとその額にくちづけをした。

「ゆっくりおやすみ・・・。」

あたたかなまどろみの中で、ディアナはフランツ皇子の香りに
包まれているような気がしていた。