折しも2年ぶりに帰国し、当時、ケータイ小説の流行を耳にした辻は、ネットの技術進歩に浦島太郎になった気分だった。


10年前では考えられないような事が、ネット上で次々と可能になっていたのである。


それらは、インターネット環境が十分発達したから可能になったようにも思えた。


手軽に自身の小説をウェブという公の場に置くことができることを知った時、出版の道を閉ざされた辻にとって必然と辿(たど)り着いた道だった。


だが、大きくスリム化し構成を並べ替え、一人称から三人称表記へ改稿され完成した作品を目にした時、大きな壁にブチ当たる。


未来に関する記述がプロの指摘にもあった通り、極めて脆(もろ)く貧弱な骨組みに思えてしまうのだ。



これでは、ダメだ・・・。



辻は、自分の限界を痛感する。

そして、再び、路頭を目的もなく”ココ”と鳴きながら歩き回る猿(さる)のように日々を送った。


まるで、片方の天秤に圧(の)し掛かる憂鬱(ゆううつ)や無気力といった分銅が大きく膨(ふく)らむ度、”自分だけは違うんだ!”という安い高慢や哀(かな)しい詭弁(きべん)、さらには卑(いや)しい見栄(みえ)を対となる心の天秤に載せてバランスを保っているようにも見えた。


彼は、プロ作家が書く小説とはどういうものかということをずっと考えていた。


プロの小説と自分の小説とでは、芸の奥深さが違うのは当然。辻には、それが悔しくてならなかった。


それが、あるテレビ番組を見ているとその出演者が、『経験の差があるのだから書けなくて当然である』という自身の体験談を語っているのを聞いた。


すると、あっさり考えを切り替え、プロの作家には書けない素人なりの小説を書こうと思ったのだった。