次に、「この小説の主人公は、誰か?」という問に答えることは、容易ではないということに後から私自身気づかされました。


主人公は一見、著者である辻ユウヤのようにも見えます。


確かに、前半部は、そうであるかも。

しかし、後半からは、小説シナリオに興味を持った読者が大きく台頭する。


そこまで断言するにはまだ時期早々であることは、十分に理解しているつもりです。

それにも関わらず私がここでそう申し上げなくてはいけないと思うのは、小説に書かれたシナリオ上、必然ではないか?とも思うのです。


普通に『小説世界』にだけ留まれば、その答えは明快かもしれません。


しかし、シナリオがそれを許していない所にこの物語の本質が見え隠れするような気がする。


物語では、『小説世界』と『映画世界』に『仮想世界』、そして『現実世界』が描かれている。

(仮想と映画世界の描写は、まだまだ、不十分という気がします。一重(ひとえ)に作者の力不足だと実感している。


ゆえに、それぞれの読者の思う文章をドシドシ付け加え、書き加えていきたいというのは全く持って作者の本心です)


よって、それらの世界にまで思考を広げ解釈しなければ、この物語の本質を見誤る恐れがある。


ケータイ小説では、まだ、読者の台頭という感はない。


だが、出版化と映像化される段階で、主人公である著者は見かけ上の主人公に下り、そして、この文を目にした読者たちが主人公に台頭する予感を得た。