バンコクにいても、日本で暮らしているのと変わらない日常。話をする相手がいるだけ、日本より良かったかもしれない。
夕刻、辻がベッドの上でノートパソコンを広げていると、市内観光から戻ってきた池永が、「何してるんですか?」と尋ねる。
辻は、小説を書いていることだけを伝えると、池永と隣にいたアキラを夕飯に誘った。
日本人の舌に美味しいと定評のある屋台に案内すると、三人とも海鮮チャーハンとビールを頼む。
今日、見て周った中華街の様子を楽しそうに二人に話し終えた池永が、興味を持って辻に尋ねた。
「先ほど部屋では、どんな小説を書いていたんですか?」
ビールで喉を湿らせた辻は、自信なさげな目を下げ話し始める。
「一言でいえば、半自伝SFサクセスストーリーって言ったらいいのかなぁ。日本で挫折し海外放浪する主人公が、次第にカジノギャンブル・女・大麻にハマっていくの。
彼は、大学を卒業したらすぐに就職するような日本の画一的な常識が肌に合わなくて、いつも皆と同じであることに疑問を抱いていたのね。
何かしなくちゃいけないけど、何をしていいか分からないまま過ごす葛藤の中、ある日、大麻を吸ってハイになり過ぎ全裸事件というのを起こすの」
二人が辻を見つめる中、東南アジア特有の調味料の香りと南国の熱気が辺りを包んでいると、唐辛子を油で炒めたような刺激臭が三人の鼻を蹴り上げる。
辻は、むせ返ったように咳き込み、二人は、片手で鼻を覆う。
「ゴッホン、ゴッホン! ところが、それがきっかけで突然、大金を稼ぐ方法を思いつくんだけど・・・。
それは、自分の過去から未来にかけて自伝サクセスストーリー小説を書くことだったりするわけ。
ゴッホン、ゴッホン! でも、いくら小説にサクセスストーリーを描いたからといって、現実にそれが起こるわけないじゃん」涙目で、むせ返りが落ち着いた表情に戻る。