一年以上も連絡を取っていなかったにも関わらず、突然、彼と再会した辻には、たまにある日常の何でもない一コマに過ぎなかったのは事実だった。


ついこないだの須藤ともそうだったが、帰国を前にして久しい面々との再会に、ただ、二年間に及ぶ旅の長さを実感していた。


こうして、15畳ほどの広さに黒い鉄パイプの二段ベッドが六つ押し込まれた、閉塞感(へいそくかん)漂う三階のドミトリーに辻が加わった。


安宿の相部屋は、生活環境的には不便なことが多い。

特にここは、ベッドの間隔が狭く体を三枚下ろししなければ、奥のベッドにも進めやしない。


首筋をヒルが這(は)うような、年中汗がまとわりつく熱帯高層ビルジャングルの辺境にいてもエアコンなど無く、各ベッドの横に卓上扇風機があるだけだ。


トイレとシャワー以外プライバシーは無いに等しく、壁には年季(ねんき)を感じさせる落書きがいくつもあり、夜になると部屋の隅で試合を休んでいた蚊の一斉攻撃に悩まされる。


しかし、こんな宿でも一流のホテルにはないイイ所もあった。

それは、旅仲間との出会い。


その出逢いは、時に人生を何倍にも楽しいものにしてくれる。


また、普段、日本で生活していたら、まず逢う事も話す機会もないだろう社会人や学生、フリーターやプー太郎でも、ここでなら自然と打ち解け、独特の連帯感が生まれることがあった。


辻は、そんな環境が好きで、ここを常宿としていたのだった。


鉄夫はこの一年間、日本でバイトしてお金を貯め、三日前に日本を出てきたばかりだという。


ドミには鉄夫を師匠と崇(あが)める、もう一人の先客がいた。


以前、デザイナーの仕事をしていたという31歳のヒロシは、ロン毛のドレットヘアーやあごひげの風貌(ふうぼう)が、いかにもインド帰りのなんちゃってサドゥーをかもし出していた。