両親には、『そんな仕事などやめて早く就職しなさい!』と二日に一度は言われるものだから、辻もストレスが溜まる。


結果を出せない自分が悪いのだから、キレる気にもなれず、自己責任を感じる日々。


そんな日本での生活が何もかもイヤになり、すべて投げ出してしまいたい衝動にも駆られた。


そこで、ついに決心した。廃業しよう。


こうして、六年間、細々と営んできたお茶の会社をダンボール箱に詰め、海外放浪に出ることに。


何もかもすべてをリセットしたい。何も出来ない自分に失望し、精神的にも社会の重圧に押しつぶされそうで、ここから逃れたいと思った。


それが現実逃避ならそれでも構わないと・・・。辻雄也、31歳、2005年10月7日のことだった。


日本からタイまで飛行機で6時間半。


子供の背丈ほどある赤い大きなバックパックを背負った辻がバンコクの空港ロビーを出ると、南国特有の肌にまとわりつく熱気と異国の赤い夕焼けが辻を出迎える。


そこには、不思議と生きる希望が感じられた。


そこからカンボジアなんて、あっという間だった。月に数万円もあれば、彼にとって最低限の生活ができるこの国に来ると、ここだけが自由を謳歌できる場所。


カンボジアは初めてではなかったが、仕事のこと、日本での社会的束縛、何も考えなくて良い生活は、すべてが新鮮だった。


「それから、面白いおっさんとか、いろんな人と出逢っては世話になってね・・・」


それを聞いた佐々木は、現地に詳しいと思ったのか、それとも、辻の体から染(し)み出た同じに匂いを感じ取ったか、大麻が手に入る所は知らないかと尋ねる。


佐々木も以前から大麻経験があることを知ると、隠す理由も無かった辻は、場所や買い方、相場を教えた。


この数ヵ月間、辻は、カジノには毎日のように通ったが、ニアンとの一件以来、一度もガンジャを吸うことはなかった。