家の台所で、和尚は水を汲んでいた。
だが、その水は、いつまでもコップの中を循環しては、零れ落ちていく。
「兄貴」
と背後で強張った声がした。
和尚は振り返らず、ただ、流れていく水を見ていた。
「さっき、俺が潤子さんに呼ばれて母屋に行ってたとき、何があったんだ。
透子、泣きながら出てきたじゃねえか」
忠尚ともあろうものが、逃げるように林へ駆け込んだ透子に、何もできなかったのだ。
追いかけることも、呼び止めることも―
「お前、透子におかしなことしたんじゃないだろうな」
「あの婆の部屋で、そんなことできるかよ」
ようやく口を開いた和尚は、吐き捨てるようにそう言うと蛇口を締め、振り返る。
「心配すんな。透子には、お前が手が出せないように、お前も出せねえから」
なんだと、と言おうとした忠尚は、和尚の眼に言葉をなくす。
その表情の読めない瞳に、共に産まれ、育ってきたはずの忠尚でさえ空恐ろしいものを感じて、身を引いた。
何も言わずに、和尚が側を擦り抜けたとき、ひんやりとした空気が漂ったのに気づく。
和尚……?
忠尚は、成す術もなく、ただ兄の姿を見送った。



