それから引っ越しまでの数日間、俺は瑶とほとんど顔を合わせなかった。

俺はできるだけ帰宅を遅らせたし、瑶も引っ越し準備で部屋にいることが多かったみたいだ。

この数日間は夕飯もバラバラだった。
さすがに瑶のお母さんも毎日帰ってきていたから、瑶は母親と食べていたんだろう。




土曜日、いよいよ瑶が出て行く日。

俺は朝から出掛けてしまうか死ぬほど迷って、結局決断できずに自分の部屋に閉じこもっていた。

せめて一言謝ろうと思って何度もドアノブに手を掛けるけど、部屋を出て瑶を見送る勇気は出なかった。


ーコンコン

瑶のお母さんだろうと思って、はいと俺は返事をした。

「・・・昴?」

ドアの向こうから聞こえたのは瑶の声だった。

「あの、このまま開けなくていいから、聞いてくれるかな?」

俺は返事をしなかったけど、瑶は続けた。

「私ね、昴が一緒にお夕飯食べてくれたのすごく嬉しかった。
毎日、ごはんってこんなに美味しいものなんだって感動してた。
美味しくて、楽しくて、幸せだった。

ありがとう」

感情表現のド下手な瑶が、一生懸命伝えてくれようとしていた。



俺も同じだよ、瑶。

二人で食べる食事は火の通ってない人参入りカレーだってカップラーメンだって何だって美味しかった。

瑶は好き嫌いを主張しないけど結構顔には出るから、俺はそれをこっそり観察してたんだ。

瑶の好きなもの、好きな味を見つけると宝物を発見したみたいに嬉しかった。

瑶の喜ぶ顔が見たくて、料理の本なんて買ってみたりもした。



俺達は家族にはなれなかったけど、

俺は瑶のことが・・・




伝えたい事はたくさんあった筈なのに、俺はたった一言しか言えなかった。



ーーー元気でね。



瑶の乗った車が遠くなっていくのを窓ごしに眺めながら、後悔した。

せめてドアを開けて、最後に顔を見ておけばよかったな。



俺はこの時以来、レモンティーを飲まなくなった。