名前で呼べよ。~幼なじみに恋をして~

名前にはきっと、それぞれ大切な意味と、それを考えて決めるまでの、その子どものお父さんとお母さんのいろいろな時間や思いが詰まっている。


画数とか、漢字の成り立ちとか、音の響きとか、字面とか、理由はいろいろあるだろう。


名前は、その名前の持ち主自身への、そのお父さんお母さんとか、おじいちゃんおばあちゃんとか、兄弟とか、家族や親戚、知り合いの思いや願いが込められている。


どんな名前にせよ、その名前にするまでの思い出や悩みがあって、少なからず時間がかけられていて。


始めわたしには何も名前がなかったのに、両親がわたしを美里と呼んだから、その瞬間からわたしは美里になった。


それって、すごいことで。

素敵なことで。

名前には、誰かの名前であるというだけで意味や価値があると思う。


そうちゃんの奏汰って名前だって、おじさんとおばさんが大切に考えた名前だ。


わたしが自分の名前を大切にしたいのは、そうしたら、わたしのお父さんとお母さんを大切にすることと同義じゃないかなあ、なんて思うから。


……そんなこと、誰にも言わないけど。


ちなみにお母さんの唐揚げが美味しいのは、お母さんが大の唐揚げ好きだからだ。


好きこそものの上手なれ、ってやつ。


カツをもらって上機嫌に食べ進めるわたしの手元を、そうちゃんが覗き込んだ。