俺が、待ち合わせの「噴水ベンチ」に行くと、サヤは少し寒そうに身をこごめて待っていた。

 「噴水ベンチ」は、俺が最初にサヤを見初めた場所であり、告白してオーケーをもらった場所でもある。構内では、「なげきのベンチ」とも呼ばれていたが、俺はそんなネーミングを意に介さず、サヤとの待ち合わせ場所に使っていた。その名前からか、待ち合わせをしているカップルに出くわすことがなく、便利だったからだ。

 「サヤ、待たせたな」

 「遅い。1年待った」
 
 俺は、その言葉を聞くなり、笑うサヤの手を取った。

 「な、なんだよ」

 「サヤ」

 俺は、声を低くして、ささやいた。サヤは、自然に黙り、おとなしくなった。

「本当に、1年待っててくれるか。いや、半年でいい」

「突然、何を……」

「サヤ。ちょっとベンチに座って」

サヤは、俺のただならぬ雰囲気に、じっと黙ってなすがままにベンチに腰かけた。

「ちょっと、下を向いて」

サヤは、おとなしく下を向いた。いつにないおとなしいサヤが、普段の勇ましいサヤとのギャップも相まって、かわいらしく映った。

「サヤ。ずっと、一緒にいてくれ。病めるときも、健やかなるときも、とこしえに……」

俺は、この日のために買った、少し大判だが清潔で白い麻のハンカチを、そっとサヤの頭に載せた。

「サム、これは……」

「『結婚式』だ。ごめん、留学で金がなくなって、こんな形のプロポーズになったけど、気持ちは本物だよ。サヤ、……愛してる。そして、誕生日おめでとう」

俺が、暗がりでそうささやくと、サヤは顔を赤らめたらしく、いつになくかわいらしく、両手でほおを押さえた。そして、感動に詰まった声で、とぎれとぎれに言った。

「あ、ありがとう……サム……」

そして、サヤはハンカチを取って、俺の手にかぶせた。

「約束の、ハンカチ。忘れない。ありがとう。それから、あたしの話……聞いてくれる?」

「もちろんだ。何?」

サヤは、目を伏せたようだった。そして、ぽつりぽつりと言葉を喉の奥から絞り出すように話した。

「あたし、子供ができたの。サムと、あたしの子供。……5か月半よ」

「えっ……本当か?!子供が?」

俺は、喜びに声が上ずった。

「サヤ、俺が日本に帰ってきたらすぐに結婚しよう。待っててくれ。不安かもしれないけど、体を大切にしていてくれ。」

「ありがとう、サム。でも、内定していた出版社は、ちょっと断らなきゃね。入社してすぐに育児休暇はとれないだろうし」

「大丈夫、俺が支える」

「サム……意外に、頼りになるんだ」

「なんだ、そりゃ」

俺たちは、声を立てて笑った。笑っていたサヤが、急に真剣な声で言った。

「生まれるかな、ちゃんと育てられるかな……」

「大丈夫、俺がいる。俺も、育児はちゃんとやる。俺一人で育てたって、いいくらいだ」

「ふふ、じゃあ、おまかせしちゃうかも」

くすっと笑う、少し弱みを見せたサヤが、たまらなくかわいかった……。そして、サヤは、俺のごつごつした手を、やわらかい手で握りしめてあの言葉を言った。

「離れていても、見守っているから」

俺は、何気なく答えた……。

「ああ、頼む。サヤが見守ってくれているなら、俺は頑張れるよ」

なんて、意味深な言葉だっただろう……。あの時は、留学のことだと思っていたが、今思い返せば……。