放課後、俺と飯森は屋上に行った。飯森は、不思議そうな顔をしている。

「どうしたの、サム」

「お前が、サヤなら、わかることがある。試していいか」

「いいわよ」

飯森は、自信たっぷりに言った。俺は、覚悟した。
これまで、誰にも見せたことのなかった、真っ白いハンカチを見せたのだ。

「これが何か、サヤならわかるはずだ」

飯森は、目を大きく見開いた。

「えっと……サムのハンカチ?」

「違う」

「私のハンカチ?」
「違うな」

「えっと、えっと……」

泣き出しそうな飯森に、俺はやはりな、とため息をついてハンカチをしまった。

「お前は、サヤじゃない。嘘をついてまで、俺を試したかったのか?それも、最低のことをしたんだぞ。俺が、どれほどサヤを愛していたか、お前もそこまで調べたなら、知っているはずだ。そして、もうひとりのことも」

「……知っています。真生(まお)ちゃん。ブシ先生と、サヤさんの子供」

「そうだ。俺は、サヤの忘れ形見を独身のまま育てている。お前がしたことは、真生をも傷つけることだ。反省してくれ」

俺は、ぶっきらぼうに言った。だが、今にもすすり上げそうな飯森を見て、少しかわいそうになった。ここまで、俺のことを好きでいてくれた人間がいたか?それに対し、俺は「お前」呼ばわりをして、一度も名前で呼んだことがなかった。俺も、失礼なことをしてきたのだ……。

「もういい。帰るぞ、飯森沙也」

「ブシ先生……私の名前……」

涙を浮かべた飯森が、首をかしげた。

「どうした」

「今ね、思いついたこと。やってみたい。ブシ先生、しゃがんで、しゃがんで」

俺がしぶしぶしゃがむと、飯森は白いハンカチを俺の手から奪って、俺の頭の上にかぶせた。そして、柔らかく、光が音になるならかくもあろうというほど静かで輝く声でつぶやいた。

「病めるときも、健やかなるときも、とこしえに」

「おい!!」

俺は、ハンカチを取って、飯森の両手を興奮してつかんだ。

「どこからそれを知った!?言うんだ!」

「わからない!わからないけど、今ひらめいたの……ブシ先生、泣いてたから、どうにかして慰めたいと思ったら、突然……」

「俺が、涙……?」

自分でも気づかない、かすかな涙のあとが、ほおに確かにあった。サヤの墓参りでも、それどころか訃報の際にも泣くことはなく、俺は自分を責めてきた……。その涙が、この飯森のしぐさで解放されたのだ。

「先生、これは……」

「結婚式だよ」

俺は、ふいとカボチャ色をして、もうすぐ星がまたたきそうな夕空を見上げた。

「学生時代、金がなくてさ。それで、サヤの誕生日、今日のハロウィンの日に、そのハンカチをベールに見立てて、プロポーズしたんだ。それから俺は留学したが、その先は……きっと、お前も知っていることだよ」

「そうだったんですか」

「サヤが、本当に来たのかもしれないな」

俺がそう言うと、飯森は俺の手を取った。

「ブシ先生、好きです」

「……」

俺には、何も言えない。言ってはならないことだ。だが、俺は、答える代りに、飯森の手を、ぎゅっと握り返した。柔らかい手、ひとのあたたかみ。俺が忘れていたものを、飯森が思い出させてくれた……。