十、夜……?
その名前に踏み出したばかりの足はピクリとも動かなくなって身体が硬直する。
……違う。そんな訳ないよね。
十夜がこんな所にいる訳がない。
“トオヤ”なんて名前、世の中に沢山あるんだから。
そうだよ。世の中に沢山ある。
だから、絶対に違う。
そう思ったのに。
「──そのままでいいだろ」
耳に入ってきたその声は、確かに十夜の声だった。
思わず両手で口を塞いで背を向ける。
……嘘だ。絶対嘘。
十夜がこんな所に居るなんて……。
「えーそうかなぁ?一回ぐらい染めてみたいんだけどなー。ねぇ、十夜も一緒に染めようよ」
でも、さっきの声は紛れもなく十夜の声で。
……本当に、十夜なの……?
自分の意思とは関係なく勝手に動き出す足。
ゆっくりと回転する身体がは何故かスローモーションの様に感じて。
傷付くのは分かっているのに、それでも、今の声が十夜だという事を確認したかった。
本当は見なくても分かってる。
確認なんかしなくても分かってる。
だって、あたしが聞き間違える筈がない。
あたしが、聞き間違える筈がない。
数日前に聞いたばかりのあの声を、
あの日から何度も何度も頭の中で木霊しているあの声を、
切なげに響いたあの声を、
あたしが、聞き間違える筈がない。
「十夜……」
──ほら。やっぱり間違いなんかじゃなかった。
振り向いた先に見えたのは、こちらに背を向けている十夜の後ろ姿で。
「……っ」
目の前にいるのが十夜だと確信した瞬間だった。


