夏彩憂歌

慶兄さんは出陣してすぐ足を怪我したらしい。

日本軍では「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えがあり、捕虜に対する強い否定的意識が兵隊に訓育されていた。

そのため、負傷したり、機体が損傷したりすることによって帰還が絶望的な場合は、自爆や敵に突入するという……つまり、特別攻撃隊として最期を迎えるという選択をする者が多かった。

いや、むしろ、「玉砕」を唱えていた日本にとって、捕虜となってまで生き残ることは恥としかみなされない行為だった。

半強制的に、特別攻撃隊として……

まるでこんな結末を知っていたかのような言葉と手紙を残して、空へと散っていった慶兄さん。

爆弾を搭載した軍用機などで、敵艦船に乗組員ごと体当たりする特別攻撃。

太平洋戦争末期の日本で、陸海軍あげての大規模な作戦として実施された。

乗員が生還する可能性は皆無に等しく、突入はすなわち死を意味していた。



慶兄さんの望みを私は叶えなきゃならない。

彼の望みは私の幸せだった。

だったら私は彼を心の中で鮮やかに映し出しながら、幸せにならなきゃならない。

それから、もうひとつ……