「このっ……殴るぞお前!」

「殴るなら後にしてくれ。今はこれをしないと」

 山頂まで登りきったところで、ランスはアリアを下ろした。

「逃げないでくれよ」

 言いながら、岩の下を掘り、導火線を取り出す。

「……それは?」

「発破をかけて山を崩す」

「なっ……お前、いつの間に」

「俺はアストラの自警団長なんだよ。村を守る手は打ってあるさ」

 ランスは黒いコートの下から革袋を取り出し、そこに入っていたマッチで導火線に火をつけた。

「さっき君が亀裂を入れてくれたからね。この雨で岩盤も緩んでいるし、うまくいけば半分は減らせるか……足止めにもなる。その間に俺たちも撤退だ」

「駄目だ。登ってくるヤツラを私が倒す」

「ああ、君にもうひとつ伝言があるんだよ」

 雨の中でも導火線に火が灯り続けるのを確認して、ランスは立ち上がる。

「今日は母さんに子守唄を歌ってほしいって、フェイレイがね」

「──避難は! まさか、家に?」

「家にいるよ。お出かけするなら父さんと母さんと一緒がいいって言うから。だから帰らないと。いい子にしていたら必ず帰ってくるっていう約束をしてきたからね」

「お前……なんという卑劣な約束を」

「人聞きの悪い。俺はただ、息子とかわいい約束をしてきただけだよ。……約束は、守るだろう? フェイはいい子だからね。俺たちも約束を守って家に帰って、褒めてあげないと」

「く、くうっ……」

 怒りに体を震わせるアリアににっこり微笑みかけたランスは、また彼女を抱える。そうして、うまく火薬に引火して低い地響きが鳴り出したのを確認すると、身を翻して走り出した。

「アリア、しっかり口を閉じているんだよ。舌を噛まないように」

 と、何メートルもある崖を飛び降りながら、転がるように山を駆け下りていく。

(相変わらず、なんという身体能力だ)

 激しい振動で舌を噛まないよう、ぐっと奥歯を噛み締め、ランスにしがみつく。

 『セルティアの英雄』と呼ばれるのはアリアだけではない。7年前までアリアが所属していた魔族討伐パーティメンバー……現在副官としてアリアとともにガルガンデ最前線までついてきてくれた魔銃士のガルーダ、そしてランスを含めた3人がそう呼ばれている。このパーティは後世まで破れないだろうと言われる無敗の連勝記録を作り上げた。

 しかしランスは、フェイレイが生まれたのを機にギルドを辞めた。優しくてのんびりした性格の彼に、争いは向いていないのは解っているが。

(もったいない)

 膨大な魔力を持ちながら精霊を召喚することの出来ない剣士。

 それでも彼は、精霊の力なしに最前線で戦える力量の持ち主だ。本気でやりあったらアリアはランスに勝てないだろうと思っている。

 その能力をギルドで活かさず、子育てに専念すると決めたのは彼であり、それを受け入れたのもアリア自身だが。

(もったいない……)

 そう、思わずにはいられない。