「……母さん」

 乱れた呼吸を整えながら立つ息子に、アリアはわざとらしく溜息を吐いた。

「まったく、派手に暴れおって」

「修理代は減俸しただけでは済みませんよ」

 ブライアンは黒いメモ帳を見ながら言う。あの爆発音だ。相当ビル内を破壊してきたのだと想像出来る。

「いいよ、そんなの。俺の貯めたお金、全部使っていいから」

 IDを破棄するつもりのフェイレイは、あっさりと財産放棄を表明する。

 IDを削除すれば確かに金の引き出しも出来なくなるから、捨てるよりは使ってもらった方がいいのだろうが。削除するということは、フェイレイ=グリフィノーという人間が、この世から消えるということだ。

 存在の証である個体識別番号の埋め込まれた、彼の右手の黒いバングルに視線をやる。

 アリアやブライアン、ヴァンガードも同じバングルを右手首につけている。それはこの世界の住人すべてに与えられている身分証明書。

 けれどもIDを消去すれば、それはただの黒いバングルだ。ギルドはもちろん、銀行、病院などの公共機関の使用はおろか、通常の手段では国境を超えることも出来なくなる。

「……本気なのか」

「本気だよ。俺はリディルを助ける」

 上空にある戦艦が、ゴオン、と唸りをあげる。そろそろ飛び立つのかもしれない。国民の避難完了の知らせはまだだ。間に合うだろうか。アリアは戦艦のエンジン音に耳を済ませながら、目の前の息子を見つめる。

「頼む母さん。行かせてくれ」

「お前を死なすわけにはいかんと言っただろう」

 息子と会話をしながらも、アリアの心は焦れ始めていた。このまま戦艦を見送ればリディル救出の難易度が跳ね上がってしまう。何としてでもセルティア国内で決着をつけなければならないのに。このままでは避難終了の報せを待たず、戦端が開かれるかもしれない。

 そう想定していた方がいいと、アリアはブライアンに視線をやる。それだけで彼はすべてを理解し、ひっそりと各方面へ指示を出す。