その時の母さんの顔は、今でも覚えてる。
真っ青に青ざめた顔に、額を伝う汗。
必死に声を殺しながら、
“お願いっ…出てっ…お願いよっ…”
そう繰り返してた。
そうしている間にも、男の足音が迫ってくる。
靴と地面が擦れる、ジャリっという音がしたかと思うとその足音が止んだ。
母さんが、俺の手を一度強く握る。
顔を上げると、いつになく穏やかな母さんの顔がそこにあって、
それから耳元で囁くんだ。
“恭、誰よりも愛してる”
って。
それからは、一連の出来事がスローモーションのように見えたよ。
母さんは俺に携帯を握らせると、
俺の横からスッと立ち上がって、
男の前に両手を広げて立ちはだかって、
大きな声で叫ぶんだ。
“恭!!!逃げなさい!!!!”
って。
俺は、真っ白な頭でとにかく母さんの言うように一目散に駆けた。
息が切れて、喉の奥に痛みを感じても、
涙で前が見えなくても、
とにかく、足だけは止めずに。
どれくらい走っただろう?
そこがどこかも分からない。
ふと足を止めて振り返る。
男の姿も母さんの姿もない。
急に酷く心細くなってくる。



