わたくしの主人は、それはもう立派な土佐犬でした。毛並みなんて、撫でている手が滑り落ちるくらい。生まれながらの闘犬でございましたから、一度口にしたことは譲りません。

散歩でただすれ違った柴犬の前脚を噛んだら、離さないんです。

殴れと蹴れど、決して離さない。

たとえ私が泣いたとしても。

ですので、散歩といいましても、私は紐を手にした妻。私が主人の前を行くことはありません。そうやって今日(こんにち)までやってきたのですから。

ちょうどその日も、嫁にお料理を教えておりました。

さやえんどうの筋は、こう取るのよとお手本を見せても、嫁はザルの中のさやえんどうを鷲掴みにして頬張るのです。

小気味いい音。

筋を取ろうが取らまいが、この耳に馴染みのいい音は変わらない。椎茸の軸も、ししとうのヘタも、ピーマンの綿でさえ、嫁にとっては宝物なのでしょうか。

しかし、卵を綴じますゆえ、火が通ってしまうと筋は歯に挟まります。私よりよっぽど綺麗な歯並びをしている嫁の歯に、挟まってしまう。

お二階の信明の部屋で、こっそり筋を取ることにしました。

懐かしい、あの頃のままの息子の部屋。

あの頃がいつの頃かはわからないけれど、今でないことは確かなこの部屋で、さやえんどうが盛られたザルを抱きかかえ、私は一心不乱に筋を取り始めました。

ですので聞こえなかったんです。

嫁の咆哮が。きっとまた、張り替えた障子で遊んでいるのだろう、また張り替えなくては、いっそ、障子ごと捨ててしまえばいいのかしら?なんて考えていましたら、叫び声が聞こえてきたんです。

「さ、猿が‼︎猿がーっ‼︎」

素っ頓狂な男の声に、折り重なるようにして嫁が奇声を上げる。きっと、追い立てているのでしょう。

足音がどんどんこちらに、この時が止まった、私と信明だけの部屋に近づいてくるので、ゆっくりザルを脇に置いて立ち上がりました。

「美津子‼︎美津子ー‼︎」

私は、ドアを開けました。