朝綺先生が、のどを鳴らすように笑った。
「おまえ、おれと同じようなこと言うんだな」
「はぁ? ふざけんなよ」
「ふざけてねぇよ。マウス歴はおれのほうが圧倒的に長いんだからな。おれはこちらのサイエンティストさま、もとい、女神さまに寿命を握られてんだよ」
 朝綺先生は麗先生を見やった。麗先生は腕組みをした。
「話しすぎないで」
「いいじゃねぇかよ。壮悟はガッツリ関係者だし、優歌だって半端な情報しか持たないよりは、ちゃんと事情を説明するほうがいい」
「……朝綺の判断に任せるけど」
 朝綺先生は麗先生にウィンクをした。
「さてと。優歌もおれがこの一年、必死にリハビリをしてることを知ってるだろ?」
「はい、もちろんです」
「リハビリ以前のおれはどうだったかというと、一回死んだようなもんだ。生まれつき、不治の病にかかってたんだ。全身の筋肉がだんだん弱っていく病気だ。腕や脚の筋肉はもちろん、内臓の筋肉も全部、最後はまったく動かなくなって死ぬ。そんな病気だった」
「動かなくなったんですか?」
「そう。筋肉を作ってる細胞が全部、壊れた。それを救ってくれたのが、風坂麗先生だったというわけ。この技術はまだ試験段階で、安全性も保証されていない。でも、やらないっていう選択はなかったよ」
 不思議な感じがした。目の前にいる朝綺先生は、生きているし、とても自然だ。でも、全身くまなく、人工的で科学的な施術がおこなわれた過去を持つ。だけど、やっぱり自然に生きている。
 麗先生がため息をついた。
「わたしが人工細胞医療で一つの成功をした事実は、公表してるわ。医療技術の革新のために、公表は当然。でも、優歌と壮悟にはお願いしたい。わたしの成果にからめて朝綺の名前を出さないで。朝綺が奇異の目で見られるのはイヤなの」
 麗先生が言いたいことはよくわかった。あたしも、食物アレルギーに関する臨床データの提供に、全面的に協力しているから。
「あたし、秘密守れます。大丈夫です。朝綺先生のことも、壮悟くんのことも」
 朝綺先生と麗先生は同時にニコッとして、同時に「ありがとう」と言った。そして顔を見合わせて、小さく舌を出し合った。
 仲がいいんだ。年も同じくらいだろうし、本当に患者さんとお医者さんってだけの関係なの? 胸がチクチクする。
 そのとき、ピンッ、とインターフォンが鳴った。
〈大場くん、お食事ですよ〉
 通話状態のインターフォンから看護師さんの声が聞こえた。プシュッと音をたてて、ドアが開く。
 麗先生がサッと髪を払った。
「そろそろ出ましょ。壮悟、何はともあれ、これからよろしく。まずは白血病細胞の根絶治療、頑張りなさいね」
 病名を知ってしまった。白血病。ドキッと、あたしの心臓が跳ねた。
「じゃーな」と朝綺先生が言った。あたしも「さよなら」と頭を下げた。壮悟くんは、返事をしなかった。こっちを向くこともしなかった。
 病室を出たところで、朝綺先生が少しバランスを崩しかけた。
「ちょっと、朝綺」
 麗先生が素早く朝綺先生の体を支えた。すごく自然な動きだった。
「ああ、すまん。立ちっぱだと、すぐ血が下がっちまって。足が重くて上がらねぇんだ」
「午後のリハビリは、歩行は後回しね。体幹のトレーニングから入って」
「げぇ。食った後にあれやるのもキツいんだけど」
「文句言わないの」
「はいはい。お姫さまの仰せのとおりにしますよ。じゃあな、優歌。後でメッセージ送っとくから、見ろよ」
 あたしは慌てて笑顔を取りつくろった。
「は、はい。朝綺先生、気を付けてくださいね」
 すでに体の向きを変えていた朝綺先生は、首をひねって、ほんの少し、あたしのほうへ視線を投げた。代わりに麗先生が、あたしに手を振った。あたしはお辞儀をした。
 何だか取り残された気分だった。