『万華鏡』は眼に関する別の作品を書いている時に思いついて書き始めた作品です。


視覚、聴覚、声のうち、一番大切なものとは何か。


誰かを見つめて、誰かの声を聞いて、誰かの名前を呼ぶ。


それが親しい家族や友人、もしくは恋人に対するものだとしたら、失いたくないものはどれか。


視覚が無くなるとそんな誰かの姿や顔がだんだんと薄れていくものだと、どこかで知りました。


きっと、それは間違いではなくて。


昔見たような光景さえも薄れていく記憶の中で、大切な人といえどその姿が鮮明に残る、というのは難しい。


声を聴いても、体に触れても、埋められないものがそこにはあって。


今、目を閉じた一瞬に見た世界がずっと続くのだと思うと、ただの瞬きすらも怖くなります。


『万華鏡』ではそういう不安は最初だけで、ただひたすらに深影を両眼に映したいということが願いでしたが、最後に「奇跡」という言葉を使ったように、見えていることは当たり前ではなくて。


「この瞳が色を映して、景色を映して

あなたを見つめることができるのは

奇跡なのだと知りました」


この作品の中で私が一番好きだった言葉です。


景色を見られることは奇跡で、その景色が色付くことも奇跡。


当たり前を当たり前だと思えなくなって、縋るように紡ぐ“奇跡”はあまり好きではありません。


けれど、何かきっかけがないと気付けない。


鏡華にとってはそれが右眼を失くしたことであり、色や景色を失くしたことでした。