関係者の調書に寄れば。

被害者の死亡推定時刻はどれも深夜から未明にかけての人目につかない時間に限られていた。周辺各地での聞き込み捜査が入念に行われたが、犯人に繋がる情報はおろか不審者の目撃情報すらほとんど得ることはできなかった。

証拠どころか手掛かりすら掴むことができない難事件。あまりにも巧妙、残虐な犯行から見て初犯の可能性は薄いとみられ、捜査の序盤で「前科のある者による再犯」 へと焦点を当てて捜査を絞り込むこととなる。

警視庁の膨大な過去の犯罪者データベースを総動員し、重大な犯罪を犯した者から、万引きや恐喝未遂など軽犯罪者で捕まった者にまで捜査網は広げられた。しかし、一向にして足掛かりすら見つけられないままに月日だけが無為に流れて行った。

捜査は難航を極め、現場の状況から自殺の可能性は”物理的に”あり得ないとされ、殺人事件と断定して捜査は継続されていく。被害者の遺品からは遺書一つ見つかることはなく、家族の死を受け入れられない家族の悲しみは、その矛先を見つけることもできないままであった。

自殺の可能性は物理的にありえないことから、他殺であることに疑いの余地はなく、パニックを防ぐ為に情報規制を設けながらも公に連続殺人事件として捜査は進められることとなっていった。

しかし警察の懸命の捜査も虚しく、犠牲者はその後も次々と増え続け、ある記者会見にて警視庁捜査一課の人物の一人が

「まるで警察を嘲笑うかのように捜査の糸口が掴めない。こんな難事件は見たことがない」

と眉間に皺を寄せ、拳を震えるほどに握りしめ憤りを露にしながら答えている場面が記憶に新しい人も少なくはなかった。

また、被害者となったほとんどの人は平穏な暮らしをしていたごくごく普通の高校生であった。

そうした背景もあり、様々な憶測や噂が自然と蔓延するに至った。

高校生を標的にしたシリアルキラーの犯行だとか、呪いのサイトにアクセスしただとか、呪いの遊びに手を出しただとか、根拠のない噂話が口づてに驚くべき早さで首都圏を飛び越え全国へと広まっていった。

実際に捜査の糸口が掴めないまま被害者はどんどん増えていき、都内の高校ではバイトや部活を自粛するよう通達され異例の集団下校や、一部では学校閉鎖なども実施されたということが事件終息後に報道され世間の耳に入ることとなる。

現場の状況や死体の損傷度合いなどから推測されただけでも、今回の首都圏での連続殺人事件の被害者は少なく見積もっても20人を超えた。

警察の威信にかけて大々的な捜査が長期的に続くも、事件解決の糸口すら掴めずに、最初の犯行から早くも半年が過ぎようとしていた頃だった。

世間は恐怖に侵され外出する人も減り、公に報道されることはなかったが経済的な損失も軽いとはいえないものであったと政府関係者は言う。

誰しもが犯人逮捕は絶望的だと感じ始め、操作も進展せずに迷宮入りしてしまうかに思えていた時、半年にも及んだ恐怖はあまりにもあっけなく終わりを告げることとなる。