恵都は母子家庭だった。
幼い頃に離婚したという父の記憶は恵都にはない。
幸せに暮らしていたはずだったのに、父の田舎からの電話一本でそれはもろくも崩れ去ったという。
祖父の腰の具合が悪化したために、帰ってきて家業を継いでくれないかという打診だった。
母は小さい頃からの夢を東京で叶えていた。
職場にはすでに復帰していて、仕事も家庭も両立していた。
父の田舎――あの山の麓の村に引っ越せば、仕事は続けられない。
知り合った学生の頃からひたすら努力し、懸命に仕事に打ち込んでいるのを理解してくれている。
そう信じていた夫の裏切りに感じた。
実はなにも分かってくれていなかったんだ、と。
だってまさか、義父母の願いを受け入れるとは思いもしなかったから。
珍しく酔いつぶれて帰ってきた母がそうぼやいたのを聞いたのは、そのたった一回きりだった。
恵都が母の愚痴を聞いたのは、それが最初で最後だった。
