ふと、胡弓の音が止まる。
それにつられて、千霧も足を止めた。
「この逢瀬は今宵限り。夢の時間は永くはない──」
静寂の中から生まれた声に、千霧は息を飲んだ。
「誰?」
廻廊の手すりに腰掛けていた影が、部屋から零れる僅かな光によって浮かび上がる。
「──今は彼誰刻(かわたれどき)。目の前の彼が誰だか判らないのが当たり前。知ってしまったら、異形かもしれないのだから」
浮かび上がった姿は、ぞっとするような美しさを持った青年。
まだ少年のような幼さを合わせ持ち、女性のように妖艶な。
燃えるような赤い瞳が印象的で、はだけた服の裾から見え隠れする白い肌の、なんと艶(なまめ)かしいことか。
「貴方が異形でも驚かない。胡弓を弾いていたのは、貴方なのでしょう?」
「──気に入ってもらえた?」
「ええ、もちろん。楽の音は奏者の心を映すと聞きます。貴方の胡弓の音は、美しく澄んでいた……」
青年は微笑すると、手すりから飛び降りた。
「さぁ、もう異形は姿を消す時間だ。──僕も戻るよ」
「待って……。また、胡弓を聴かせてくれる?」
「うん。──僕と君の運命が交わるなら。選ぶのも、進むのも、君次第なんだ。今日、僕は君に会いに来たんだよ」
「私を知ってるの?」
千霧が青年の元へ駆け寄ろうとすると、今まで感じなかった足の痛みが一気に全身を駆け抜けた。
「またね、千霧」
「待っ──!」
声を絞り出そうとした痛みで、ふと我にかえる。



