『好き』と鳴くから首輪をちょうだい

時を戻したのは、眞人さんの「ふざけるな」という激高した声だった。


「妻だと? ふざけるのもいい加減にしろ。お前とは籍も入れてない!」


私に言われたわけではないのに、恐ろしくてびくりとしてしまう。
しかし、その言葉をぶつけられた彼女はふふ、と余裕を持って笑った。


「でも、式は挙げたわ? でしょう?」


平然と言いかえすことに驚く。あんなに強く怒鳴られたら泣き出してしまいそうな雰囲気を持っているのに、たじろいだ様子もない。


「挙げた? ああそうだな。だけど、途中で他の男と逃げ出したくせにそう言えるのか⁉」

「ええ、馬鹿なことをしたって後悔してる。やっぱりあなたじゃないとだめなの。私の事を本当に大事にしてくれるのは、あなただもの……」


彼女は再び、眞人さんに抱きついた。
私の鼻先まで、彼女のフレグランスが香ってくる。
ゲランのチェリーブロッサム。私は一生、この香りを忘れられないだろうと呆然とする頭で思った。


「ね、お願い眞人。私と一緒に帰りましょう? 私、今度こそあなたのお嫁さんになる」


眞人さんは、彼女に抱きしめられるままだった。ただ、ぎゅっと握りしめた両手がぶるぶると震えていた。


「私が眞人を幸せにしてあげる。ずっとずっと傍にいてあげる。もう二度と、ひとりにしないわ」


背中を撫で、子供に言い聞かせるように優しく、彼女は言葉を重ねる。


「愛してるわ。あなたを誰よりも。だから、帰りましょう」

「……言いたいことは、それだけか」


果たして、眞人さんが声を落とす。
それは、とても低くて、悲しげだった。
彼女が顔を上げて眞人さんを見上げる。


「眞人、私」

「その顔を二度と見せるな、小紅」


眞人さんが口にした名前に、「ああ」と思う。やっぱりこの人が『小紅』さん……。
小紅さんが「嫌よ」と言う。


「ねえ眞人、いい加減に私を赦して? 私、こんなにも反省してるの。こんなにも謝ってるのよ。だから、ね?」

眞人さんに向ける顔には、少しの苛立ちが見えた。

信じられない。この人、本気で言ってるわけ?
驚いて、その顔をまじまじと見てしまう。
どう見ても眞人さんは本気で彼女を拒否しているし、帰って欲しいと思っている。
なのに、この人はそんなこと全然わかっていなくて、眞人さんが自分を受け入れないことに怒りを覚えてさえいる。