すっかりなじんでしまった、商店街を抜けようかと言う頃だった。
駆けてくる足音が聞こえた気がした。
なんだろう、と振り返ろうとしたその時だった。
「……白路!」
肩を乱暴に掴まれた。力任せに私を振り向かせた人は。
「行くな。行くな、白路」
眞人さんだった。
「……え?」
「俺を置いて、行くな。頼む」
必死に言葉を重ねて、そのまま、眞人さんは私を抱き寄せた。
大きくて逞しい胸に、抱き留められる。
……どうして?
私を抱きしめたまま、眞人さんが言う。
「嫌だったんだ。また、小紅みたいにいなくなってしまうんじゃないかと不安になるくらいだったら、拒否した方が楽だったんだ」
髪に眞人さんの手が触れる。痛いくらいに掴まれる。
「ま、眞人、さ……」
「『飼い犬』なら、いなくなることはないって安心できた。心の距離を持てた。だから、お前を『飼い犬』なんてカテゴリに入れ続けた。そうしたら、もう捨てられることはないって思えたんだ。急にいなくなって、俺を一人しないって、思えたんだ」
眞人さんが、言葉を連ねる。
私は、眞人さんの腕の中で呆然とするしかなかった。
これは、何? 夢?
こんなこと、あるはずがない。
ああ、もしかしたら、松子の時と同じように、演技?
でも、こんなにも眞人さんの胸の鼓動が激しい。こんなの演技じゃ、ない。
眞人さんの腕に、ひときわ強く、力が籠もる。
私を掻き抱いて、眞人さんは切なげに言葉を吐きだした。
「お前のことが好きなんだ」
「え……?」
「何度でも言う。好きだ。失いたくない。だから、俺を置いていかないでくれ」
新しい涙が、溢れて流れた。
こんな都合のいい夢、あるはずがない。
「好きなんだ、白路」
全身が、震えた。
涙が溢れて、世界が波に飲まれる。
いっそこのまま、飲まれて死んでもいいと思う。
だらりと垂らしていた手に、力を入れる。
そっと動かして、眞人さんの背中に回した。
広い背中を抱きしめる。
「私も……私も、好き。大好き。犬でも、なんでもいい。そばに、いさせて……っ!」
腕の力を抜けば、眞人さんが掻ふっと消えてしまう気がする。
幻を現実に留めたくて、私はしっかりと抱きしめた。
眞人さんも、苦しくなるくらいに私を抱きしめ返してくれる。
息苦しさを覚えて、しかしそれが、現実を教えてくれた。
ガタンと音がしたのは、それから少ししてからのことだった。
「……よかったね、白路」
低い声にはっとする。
顔を向けると、リヤカーから離れたところに、梅之介が立っていた。
「クロ……、俺」
私を離した眞人さんに、「いい年して、臆病すぎるよ。眞人」と梅之介は優しく言った。
「ここまでしてあげないと動けないって、ちょっとひくよ? 追いかけてこなかったらどうしようかとひやひやしてた」
「梅之介、お前……」
「もう、ずっと前から白路のことが好きだったくせに、捨てられたらどうしようなんて不安がってたんだよね。白路はそんなことしないって、ちょっと考えたらわかるじゃないか」
「……ああ。本当だな。すまない」
「いくら怖くても、信じてあげてよ。『飼い犬』だなんて、そんな檻にいれなくても、白路は逃げたりしないよ。だって白路は、眞人しか見てなかった。僕が、悔しくなるくらいに」
梅之介の声が、僅かに震えた。
だけど、梅之介はにっこりと笑って、私の方を見た。「白路」と名を呼ぶ。
「お前のお蔭で、情けない僕から踏み出せた。ありがとう」
そんなこと、言わないで。
お礼を言うのは、私。
だって、梅之介は私の事をいつだって見てくれて、助けてくれた。
「梅之介……ごめ……私……。ごめ……さ……」
あんなに、優しくしてくれたのに。
私の事を想ってくれたのに。
なのに……。
「お前の純粋なところとか、無邪気なところ、本当に好きだよ。だから、ずっとそのままでいてよね」
じゃあね、と梅之介は手を振った。
「今度こそ、僕は行くよ。今までありがとう。さようなら」
「梅之介!」
梅之介は、私たちに背中を向けて歩き出した。
真っ直ぐ歩く、一度も振り返らない背中に「ありがとう」と叫ぶ。
「ありがとう! 私も、梅之介が大好きだよ! 本当に、好きだよ!」
本当に、本当に大好きだよ。
梅之介は私にとって、かけがえのない大切な人であることに変わりはない。
「俺は、お前も大切なんだ! すまなかった、ありがとう!」
眞人さんが叫ぶ。
遠くから、「わかってるよ」と声が返ってきた。
「僕だって、ふたりが好きだよ。落ち着いたら、会いにきてあげる」
涙で、梅之介の背中が滲んで見えた。
私と眞人さんは、梅之介の背中が闇夜に溶けて消えるまで、動くことが出来なかった。
駆けてくる足音が聞こえた気がした。
なんだろう、と振り返ろうとしたその時だった。
「……白路!」
肩を乱暴に掴まれた。力任せに私を振り向かせた人は。
「行くな。行くな、白路」
眞人さんだった。
「……え?」
「俺を置いて、行くな。頼む」
必死に言葉を重ねて、そのまま、眞人さんは私を抱き寄せた。
大きくて逞しい胸に、抱き留められる。
……どうして?
私を抱きしめたまま、眞人さんが言う。
「嫌だったんだ。また、小紅みたいにいなくなってしまうんじゃないかと不安になるくらいだったら、拒否した方が楽だったんだ」
髪に眞人さんの手が触れる。痛いくらいに掴まれる。
「ま、眞人、さ……」
「『飼い犬』なら、いなくなることはないって安心できた。心の距離を持てた。だから、お前を『飼い犬』なんてカテゴリに入れ続けた。そうしたら、もう捨てられることはないって思えたんだ。急にいなくなって、俺を一人しないって、思えたんだ」
眞人さんが、言葉を連ねる。
私は、眞人さんの腕の中で呆然とするしかなかった。
これは、何? 夢?
こんなこと、あるはずがない。
ああ、もしかしたら、松子の時と同じように、演技?
でも、こんなにも眞人さんの胸の鼓動が激しい。こんなの演技じゃ、ない。
眞人さんの腕に、ひときわ強く、力が籠もる。
私を掻き抱いて、眞人さんは切なげに言葉を吐きだした。
「お前のことが好きなんだ」
「え……?」
「何度でも言う。好きだ。失いたくない。だから、俺を置いていかないでくれ」
新しい涙が、溢れて流れた。
こんな都合のいい夢、あるはずがない。
「好きなんだ、白路」
全身が、震えた。
涙が溢れて、世界が波に飲まれる。
いっそこのまま、飲まれて死んでもいいと思う。
だらりと垂らしていた手に、力を入れる。
そっと動かして、眞人さんの背中に回した。
広い背中を抱きしめる。
「私も……私も、好き。大好き。犬でも、なんでもいい。そばに、いさせて……っ!」
腕の力を抜けば、眞人さんが掻ふっと消えてしまう気がする。
幻を現実に留めたくて、私はしっかりと抱きしめた。
眞人さんも、苦しくなるくらいに私を抱きしめ返してくれる。
息苦しさを覚えて、しかしそれが、現実を教えてくれた。
ガタンと音がしたのは、それから少ししてからのことだった。
「……よかったね、白路」
低い声にはっとする。
顔を向けると、リヤカーから離れたところに、梅之介が立っていた。
「クロ……、俺」
私を離した眞人さんに、「いい年して、臆病すぎるよ。眞人」と梅之介は優しく言った。
「ここまでしてあげないと動けないって、ちょっとひくよ? 追いかけてこなかったらどうしようかとひやひやしてた」
「梅之介、お前……」
「もう、ずっと前から白路のことが好きだったくせに、捨てられたらどうしようなんて不安がってたんだよね。白路はそんなことしないって、ちょっと考えたらわかるじゃないか」
「……ああ。本当だな。すまない」
「いくら怖くても、信じてあげてよ。『飼い犬』だなんて、そんな檻にいれなくても、白路は逃げたりしないよ。だって白路は、眞人しか見てなかった。僕が、悔しくなるくらいに」
梅之介の声が、僅かに震えた。
だけど、梅之介はにっこりと笑って、私の方を見た。「白路」と名を呼ぶ。
「お前のお蔭で、情けない僕から踏み出せた。ありがとう」
そんなこと、言わないで。
お礼を言うのは、私。
だって、梅之介は私の事をいつだって見てくれて、助けてくれた。
「梅之介……ごめ……私……。ごめ……さ……」
あんなに、優しくしてくれたのに。
私の事を想ってくれたのに。
なのに……。
「お前の純粋なところとか、無邪気なところ、本当に好きだよ。だから、ずっとそのままでいてよね」
じゃあね、と梅之介は手を振った。
「今度こそ、僕は行くよ。今までありがとう。さようなら」
「梅之介!」
梅之介は、私たちに背中を向けて歩き出した。
真っ直ぐ歩く、一度も振り返らない背中に「ありがとう」と叫ぶ。
「ありがとう! 私も、梅之介が大好きだよ! 本当に、好きだよ!」
本当に、本当に大好きだよ。
梅之介は私にとって、かけがえのない大切な人であることに変わりはない。
「俺は、お前も大切なんだ! すまなかった、ありがとう!」
眞人さんが叫ぶ。
遠くから、「わかってるよ」と声が返ってきた。
「僕だって、ふたりが好きだよ。落ち着いたら、会いにきてあげる」
涙で、梅之介の背中が滲んで見えた。
私と眞人さんは、梅之介の背中が闇夜に溶けて消えるまで、動くことが出来なかった。



