『好き』と鳴くから首輪をちょうだい

その晩、お店を閉じて賄の席を囲んだ私たちだったが、みんな箸がほとんど進まなかった。


「で? 昼間のあのクソブス女について、話してもらおうか」


話を切り出したのは、揚げ出し豆腐をつついていた梅之介だった。


「あのクソ女、近いうちに絶対また来るぞ。その時に何も知らないんじゃこっちも対応に困るんだよ」

「……ああ、そうだな」


眞人さんの表情が暗い。彼は重たい口を開いた。


「俺は高校を卒業してからすぐに、料亭『華蔵』の寮に入った。『華蔵』っていうのは高度な技術を必要とされる名店で、修行が厳しいと有名だった。俺にも同期が何人もいたけど、みんな半年もせずに辞めていった」


ぽつぽつと眞人さんは話しだした。
両親を早くに亡くした眞人さんは祖父母に育てられ、その祖父母も高校の時に亡くなった。
身寄りのない眞人さんは、辛くても逃げ帰る家がなくて、歯を食いしばって仕事に明け暮れたらしい。


「下処理ばかりで、辛かったな。いつになったら上にいけるのか不安でもあった。そんなとき、『華蔵』の一人娘である小紅と出会ったんだ。無邪気で明るくて、自由奔放な小紅がいたから、俺はあの時やっていくことができたんだと思う」


胸がキリリと痛んだ。彼女について語る眞人さんの目に、温かな色を見つけてしまった。


「甘やかされていたから、我儘で自分勝手な子だ。それでも『華蔵』の中では可憐なお姫様で、誰もが彼女を愛していた。俺も、あの子の笑顔に何度も助けられた。だから小紅が俺のことを好きだと言ってくれたときは、素直に嬉しかった」


ふたりは、付き合うようになった。眞人さんは、沢山の料理人の中でも才能があったのだろう、めきめきと力をつけ、板長や小紅さんの両親にも認められるようになった。
そんなとき、小紅さんの両親から「小紅と結婚して、『華蔵』を盛りたてていかないか」と話があった。


「信じられなかった。まさか、あの『華蔵』の板場を自分が切り盛りできる未来が待ってるなんて。そして、小紅とずっと一緒にいられるなんて。婿入りするという形になるけど、とか言われたけど、俺はそんなこと気にもせず了承した」


小紅さんも、眞人さんとの結婚を大喜びで受け入れた 。
それから話はとんとん拍子に進み、式の計画も進み、ふたりは式を挙げた。


「小紅の強い意思でチャペルでな。みんなに祝福されて、まあ、幸せの絶頂って言うのはああいう事を言うんだろうな」


眞人さんが遠くに視線を投げる。それは懐かしそうで、それを見ているだけで私の胸はもうぺちゃんこに潰されてしまいそうだった。

できれば、聞きたくない。
誰かとの幸福を語る顔なんて、見たくない。

ぎゅ、と手を握られてハッとする。横に座っていた梅之介が私の手を握ってくれていた。
ちらりと向けられた目が「頑張れ」と言っている。

その優しさに、悲鳴を上げそうだった自分が救われる。大丈夫、と応えるように頷きを返した。