夜明け前、妻は再び処置室へと運ばれた。

ラウンジで外の景色を眺めたり、外に出て煙草を吸ったりして時間を潰した。

一時間ほど経っただろうか、看護婦が私に話し掛けてきました。

ご家族の方を呼んでおいて下さい。

その言葉の意味くらい解る。

大丈夫だ。
念のためだ。
そう自分に言い聞かせながら、妻のケータイから連絡を回した。

そこから先はよく覚えていない。

気が付くと、面会時間は終わっていました。

帰宅した後もよく覚えていない。

眠れなかった事と、朝方散歩に行ったのはなんとなく覚えています。

入院二日目。
人工呼吸器や点滴、カテーテルなど、色んなものを装着され眠り続ける妻。

時々目を覚ますと、こちらの呼びかけに応えてくれる。

一人で散歩に行ってもつまらん。
また二人で行こうな。
絶対帰って来いよ。
俺がいいって言うまで勝手に死ぬな。
たったこれだけしか言ってあげられなかったけど、妻は一生懸命頷いてくれた。

大丈夫。
絶対大丈夫。
妻の寝顔を見ながら、何度も自分に言い聞かせた。

この日も、気が付けば面会時間は終わっていました。

薬で眠らされてはいましたが、こちらの呼びかけにしっかり反応していましたし、人の判別も出来ていました。

私が手を握ると、力強く握り返してきました。

もう大丈夫。
山は越えた。
絶対帰って来る。
何度も何度も自分に言い聞かせます。

翌日、私は病院には行きませんでした。

そして運命の入院四日目。
2014年12月2日

この日も私は病院には行かないつもりでした。

午後5時過ぎ。

市役所からの電話。

先ほど訃報を聞きました。

意味はすぐに理解できた。

頭が真っ白になった。

思考が停止した。

いや、私の時間はこの時から、今も停まったままです。