刑務所には、教誨師がいたが、この人にすがろうとも思わなかった。教誨師は、俺を改心させようと、聖書を一冊差し入れてくれたが、読む気になんてなれなかった。ただ、枕にはなった。教誨師と話すのは、気が向いた時、獄中の人間と話すのに飽きた時くらいのものだった。


教誨師は、熱心な人とおざなりに話す不精そうな人の二人が交代で来た。熱心な人は、名前を小城(こじょう)という牧師だった。俺は、刑務所暮らしも終わりに近づき、みんなが「年季奉公」と言っていた受刑期間が満期になるのをぼんやりと待っていたが、この小城牧師は、自分の教会に一度足を運ばないかと誘ってくれた。なぜそこまで言ってくれるのか、俺には分からなかった。そういうところが、聖職者らしいのかもしれない。だが、俺の心はちっとも休まらなかった。だって、娑婆に出たところで、生活が変わるわけではなく、罪がぬぐえるわけでもない。人を殺しているのだから、死んで詫びよと言われたって、おかしくないのだ。俺の目には、あの子供を抱いて死んだ父親の姿が時々映った。そして、いつかその子供が報復をしにやって来るのではないかと思っていた。
それも、仕方ないことだ。俺は、長い刑務所暮らしで人生に疲れ、気持ちはすり減らし、捨て鉢になっていた。そんな俺の心を見抜いたかのように、小城牧師は熱心に話をするのだった。そして、ついに俺は、よろしい、あなたの教会に一度行きましょう、と約束した。


その教会は、ボランティア活動に力を入れているようで、周りにさっきも言った「どぶ」があり、放浪者がよく歩いていた。そんな、堅気の人間から見れば危なっかしい所で、教会の活動をしているのだから、小城牧師の熱意は相当なものだ。俺は、出所してこの教会に行ったとき、受洗を勧められたが、神を全く信じていませんので、と丁寧に断った。その時、小城牧師と話す俺の姿を、誰かがドアの陰からうかがっていたが、俺が視線を向けると、その気配は消えた。




これが、俺の今日にいたる略歴だ。「どぶ」の仲間内では大して珍しくもない。みんな、それぞれに事情を抱えて、転落して、ここに吹き寄せられてきたのだ。「どぶ」にいる連中は、笑っていてもその表情は、本当の顔に一枚紙をかぶせただけの福笑いの顔だ。本当の顔は、みんなどれも同じ――すり減った靴底のような、もみくちゃにされた後のシャツのような、しわだらけの、汚れて脂じみ、目を常に伏せた、「誰にも必要とされない、むしろ早く世の中から出ていけと言われている」者だけが見せる、泥のかたまりだ。