2016年8月6日、米国が広島に原爆を投下し71年。

 広島市平和記念公園で市原爆死没者慰霊式、平和祈念式典が営まれた。

 “この1年に亡くなった被爆者の名前を書き加えた原爆死没者名簿を、市長と遺族代表が原爆慰霊碑の石室に納めた。”

 2015年11月に亡くなった祖父の名前も記された原爆死没者名簿。祖父は被爆してもなお、懸命に71年の時を家族と共に生き抜き、87歳の生涯に幕を閉じた。

 祖父の人生は、涙色だけではない。
 幸せ色に輝いていた時もあったはず。

 私はお祖父ちゃんの孫に生まれて、幸せだったよ。

 ――原爆投下時刻8時15分から1分間黙祷をする。

 平和祈念式典のあと、家族で写真を撮った。祖父の一眼レフカメラ、カメラのファインダー越しに原爆ドームを見つめる。

 一瞬、世界がモノクロームに変わった。

「……えっ?」

 再び、ファインダーを覗くと、そこには青い空が広がる。

 青空と71年前に被災した原爆ドーム。カラフルな世界の中に、遺跡として取り残されたモノクロームの世界。

 ファインダー越しに見る世界は、亡き祖父の眼差し。

 ――あの日、あの時、桃弥と見上げた空……。

 美しい空を壊したのは、眩いほどの閃光だった。

 広島平和記念資料館でアメリカ大統領の折り鶴と、白血病で亡くなった少女の小さな折り鶴を写真に収めた。

 その折り鶴に込められた想いも……
 祖父の想いも、きっと同じはず……。

 ――日が暮れ、私は家族と桃弥と、再び平和記念公園を訪れた。

 広島市中区本安川にて、毎年行われている灯篭流し。
 平和への祈りを込め、灯篭を川に流す。

 “本安川に約1万個の流灯が行われた。”
 上流へと漂う色とりどりの灯籠を見つめ、原爆死没者をともらい平和を祈る。

『桃弥君、音々さん、これからの日本の未来は若いあんたらが作っていくんじゃ。核兵器による被爆者をもう二度と作ってはいかんのじゃ』

 ふと……軍士さんの言葉が、頭を過る。

 “核兵器廃絶を世界に訴える今年の高校生平和大使を含む高校生らの活動”に触れ、私達にも平和のために出来ることがあることを知った。