「無茶苦茶じゃ!陸軍に囚われた時正を助け出すなんて不可能じゃ。大体、時正がどこに囚われとるかわからんのに、どうやって助け出すんじゃ」

「不可能かどうかは、やってみんとわからん。軍士は音々さんを頼む。ここはむさ苦しい男子寮じゃ。音々さんに指一本触れさせたらいけんぞ」

 紘一が部屋を出ようとした時、ドアがガタガタと音を鳴らした。

「紘一、軍士、ドアを封じとるんか!ドアを開けろ!」

「寮長じゃ……」

「誰かを匿っとるじゃろう!はよう開けんか!お前らが警告文のビラを配布した首謀者じゃいうて、駐在さんがきとるんぞ!はよう開けんか!」

「紘一、どうするんじゃ」

「軍士……。わしは捕まってもかまわん。けど、桃弥君と音々さんを駐在に突き出すわけにはいかん。2人は未来から来たんじゃ。この時代の人間じゃない。窓から2人を逃がすんじゃ」

 紘一はドアを両手で押さえ、軍士はその隙に窓を開けた。

「桃弥君、ここは1階じゃ。窓から飛び降りたら山の方に逃げるんじゃ。戦争に巻き込まれたらいけん。2人は生きる延びるんじゃ!」

「軍士さん……、紘一さん……。ありがとう。ねね、行くぞ!」

 俺は窓枠によじ登り躊躇する音々の手を引き寄せる。2人で窓から庭に飛び降り、紘一と軍士に別れを告げる。

「……紘一さん、軍士さん、どうか、ご無事で!」

「わしらは必ず生き延びる!またいつか逢おう!約束じゃ!」

 紘一と軍士は笑って手を上げた。
 音々は紘一に視線を向け、深々と一礼した。

 ドアを蹴破り警察官が部屋に乱入する。
 紘一と軍士は警察官に警棒で殴られながらも、警察官の行く手を阻むように猛然と立ち向かった。

 ――午前零時25分、2度目の空襲警報が発令された。

 空襲警報を聞きながら、俺は音々の手を掴む。

「もも……みんなが……」

「原爆も終戦もみんなには伝えてある。時正もこんなことで死んだりはしない。きっと生き延びるはずだ。だから俺達も……この時代で死んではいけない。音々、生き延びるんだ!」

 不安に押し潰されそうになりながら、俺達は夜道を一心不乱に走った。住宅地を抜け、紘一のアドバイス通り川ではなく山に逃げる。

 木や草の生い茂る山の中を無我夢中で突き進むと、沢から水が流れているのを見つける。水があれば、数日は生き延びることが出来るはずだ。山を登り斜面に小さな洞窟を見つけ2人で潜り込む。

 不安と恐怖から、会話が途切れた。
 その時、朧気な光が空中にふわふわと揺れた。

 草木の間から……
 ひとつ、またひとつと空中に青白い光が点滅する。

 夜が明けたら、原爆投下により広島は焼け野原となる。悲惨な出来事まであと数時間……。

 死が迫っているのに、目の前には幻想的で美しい光景が広がっている。

「こんなに綺麗なのに……。どうして原爆なんか…。俺は時正も紘一も軍士も、原爆から助けることができなかった。俺がしたことは、鉄道寮のみんなの未来を変えてしまったに過ぎない。
 俺が警告文なんて書かなければ、俺がビラを配ろうと提案しなければ、時正だって陸軍に捕まることはなかったんだ……。それに、紘一や軍士も警察に捕まることもなかったんだ。俺に逢わなければ、あんな目に遭うこともなかったのに、俺が……みんなの未来を壊してしまった……」

「もも……」

「ねね、俺達を助けてくれた紘一さんは、ねねのお祖父さんなんだよ」

「あの人が……私のお祖父ちゃん……?」

「彼が日の丸鉄道学校の守田紘一さんなんだ」

 音々は紘一が自分の祖父だと知り、ポロポロと涙を溢した。

「俺は紘一さんを原爆から助けることが出来なかった……」

 もし紘一さんが原爆で死んだら、音々はどうなってしまうのだろう。

 最悪な状況が脳裏に過ぎり不安に苛まれる。膝を抱え蹲り、涙をこらえた。

 音々が俺の背中に手をあてる。
 背中にじんわりと温もりが伝わる。

 みんなを救えなかった悔しさに、涙がこぼれ落ちた。

「私も……ももと同じ気持ちだよ」

 瞳を上げると、そこには潤んだ瞳の音々……。

「ねね、俺のこと思い出したのか?」

 音々は首を横に振る。

「ごめんなさい。まだ思い出せないの……。でも、ももがとても大切な人だった気がする……。私達……もとの時代に戻れるのかな。このままここで死ぬのかな」

「もし戻れなくても、俺がずっとねねの傍にいるよ。ねねを死なせたりしない」

「もも……」

「今まで言えなかったけど、俺……ねねのことがずっと好きだった……」

 音々の頬に涙がこぼれ落ちた。
 俺は音々を優しく抱き締める。

 イルミネーションのような蛍の青白い光に包まれ、俺は音々の頬を伝う涙にキスをした。